ハイクノミカタ

かくも濃き桜吹雪に覚えなし 飯島晴子【季語=桜吹雪(春)】


かくも濃き桜吹雪に覚えなし)

飯島晴子

濃密な桜吹雪の中に、過去の数々の桜吹雪の記憶がうかびあがる。そのどれもが今自分が体験している桜吹雪よりもずっと疎、ずっと穏やかで、それらを全て足し合わせても今の桜吹雪にはかなわないかもしれない。その力の差が、意識を過去から現在へ引き戻す力そのものとなる。色々思い出すが、結局は今へと意識は引き戻されるのである。同時に、今の自分自身に、こんな濃い桜吹雪が吹くはずもないという前提の上に成り立っている句でもある。

 『儚々』はそれまでの句集と比べて、一つには諧謔が、一つには情が、それぞれ鮮やかになっている。前者としては、〈天瓜粉打つて降参してゐたり〉〈穴惑賜はる穴を疑はず〉〈咲くからに縺れてをりし辛夷かな〉〈さつきから夕立の端にゐるらしき〉〈念入りに蟾蜍(ひき)のまはりを掃いておく〉〈とりあへず病葉の柄を手に廻し〉〈萍のみんなつながるまで待つか〉〈秋雨の笹のひかりに添ひて来し〉〈綿虫の意外に蹤いて来て呉れし〉〈白梅と紅梅惨と交じり合ふ〉〈二つきりそれでもちやんと蟻地獄〉〈青芭蕉さつそく裂けてゐたりけり〉〈夏山家散らかすかぎり散らかして〉〈初鵙と云はれてみれば元気つく〉〈蓑虫の蓑あまりにもありあはせ〉〈寝てゐたし筍梅雨をよいことに〉など。後者としては、〈なぜか柚子九個机上に勝てないよ〉〈悶々と九月を了る柿の色〉〈顔よせて散らす白萩(とが)あらば〉〈夏草と言はむばかりの丈否む〉〈かるかやの顫へやまざるかぎり行く〉〈誰しもの言ひ分の如柚子一個〉〈烏柄杓(からすびしやく)千本束にして老いむ〉〈芋の露真ん中に寄せ気の済めり〉などだろうか。いずれも、叙法に晴子らしさが横溢している。

諧謔の鮮やかさ、情の鮮やかさ。その両方の特徴が見られるのが掲句ではなかろうか。

なぜ晴子の句が好きなのか、よくわかっていたつもりだったのが、連載を書くことになり、思った以上に苦戦した。逆に言えば、晴子俳句について言語化することは私にとってそうとう勉強になった。当方の舌足らずゆえにあまり伝わっていないかもしれないが、それでも自分の中では、晴子俳句への尊敬が一段と深まった一年であった。この機会に感謝したいと思う。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』(2022年)はこちら↓】


【小山玄紀のバックナンバー】
>>〔52〕大風の春葱畠真直来よ 飯島晴子
>>〔51〕二人でかぶる風折烏帽子うぐひすとぶ 飯島晴子
>>〔50〕蜷のみち淡くなりてより来し我ぞ 飯島晴子
>>〔49〕雛まつり杉の迅さのくらやみ川 飯島晴子
>>〔48〕鶯に蔵をつめたくしておかむ 飯島晴子
>>〔47〕紅梅の気色たゞよふ石の中 飯島晴子
>>〔46〕辛酸のほどは椿の絵をかけて 飯島晴子
>>〔45〕白梅や粥の面てを裏切らむ 飯島晴子
>>〔44〕雪兎なんぼつくれば声通る 飯島晴子
>>〔43〕髪で捲く鏡や冬の谷底に 飯島晴子
>>〔42〕ひきつゞき身のそばにおく雪兎 飯島晴子
>>〔41〕人の日の枯枝にのるひかりかな 飯島晴子
>>〔40〕年逝くや兎は頰を震はせて 飯島晴子
>>〔39〕白菜かかへみやこのなかは曇なり 飯島晴子
>>〔38〕新道をきつねの風がすすんでゐる 飯島晴子
>>〔37〕狐火にせめてををしき文字書かん 飯島晴子
>>〔36〕気が変りやすくて蕪畠にゐる 飯島晴子
>>〔35〕蓮根や泪を横にこぼしあひ 飯島晴子
>>〔34〕みどり児のゐて冬瀧の見える家 飯島晴子
>>〔33〕冬麗の谷人形を打ち合はせ 飯島晴子
>>〔32〕小鳥来る薄き机をひからせて 飯島晴子
>>〔31〕鹿の映れるまひるまのわが自転車旅行 飯島晴子
>>〔30〕鹿や鶏の切紙下げる思案かな 飯島晴子
>>〔29〕秋山に箸光らして人を追ふ 飯島晴子
>>〔28〕ここは敢て追はざる野菊皓かりき 飯島晴子
>>〔27〕なにはともあれの末枯眺めをり 飯島晴子
>>〔26〕肉声をこしらへてゐる秋の隕石 飯島晴子
>>〔25〕けふあすは誰も死なない真葛原 飯島晴子
>>〔24〕婿は見えたり見えなかつたり桔梗畑 飯島晴子
>>〔23〕白萩を押してゆく身のぬくさかな 飯島晴子
>>〔22〕露草を持つて銀行に入つてゆく 飯島晴子
>>〔21〕怒濤聞くかたはら秋の蠅叩   飯島晴子
>>〔20〕葛の花こぼれやすくて親匿され 飯島晴子
>>〔19〕瀧見人子を先だてて来りけり  飯島晴子
>>〔18〕未草ひらく跫音淡々と     飯島晴子
>>〔17〕本州の最北端の氷旗      飯島晴子
>>〔16〕細長き泉に着きぬ父と子と   飯島晴子
>>〔15〕この人のうしろおびただしき螢 飯島晴子
>>〔14〕軽き咳して夏葱の刻を過ぐ   飯島晴子
>>〔13〕螢とび疑ひぶかき親の箸    飯島晴子
>>〔12〕黒揚羽に当てられてゐる軀かな 飯島晴子
>>〔11〕叩頭すあやめあざやかなる方へ 飯島晴子

>>〔10〕家毀し瀧曼荼羅を下げておく 飯島晴子
>>〔9〕卯月野にうすき枕を並べけり  飯島晴子
>>〔8〕筍にくらき畳の敷かれあり   飯島晴子
>>〔7〕口中のくらきおもひの更衣   飯島晴子
>>〔6〕日光に底力つく桐の花     飯島晴子
>>〔5〕気を強く春の円座に坐つてゐる 飯島晴子
>>〔4〕遅れて着く花粉まみれの人喰沼 飯島晴子
>>〔3〕人とゆく野にうぐひすの貌強き 飯島晴子
>>〔2〕やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子
>>〔1〕幼子の手の腥き春の空   飯島晴子


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