麦からを焼く火にひたと夜は来ぬ
長谷川素逝
(橋本石火『長谷川素逝の百句』)
長谷川素逝というと『砲車』が有名だが、この句は『三十三才』所収。『砲車』について引用書の巻末の解説文では、「『砲車』は戦争賛美の句集ではない」と書きつつ、一方で当時の素逝が「聖戦を信じて疑わなかった」とも述べている。そう書かれると、京大を出たインテリ俳人の素逝がマキャベリズムも知らず心の底から「聖戦」に乗っかるものだろうか?と素朴な疑問は生じる。ところで、ロシアには今やロシア語で「俳句」を詠んでいる人々がいるのだけれど、ウクライナに「聖戦」で出征した将校の中に、もしそんな「俳人」がいたなら、と思うと、にわかに素逝のありようが現代性・未来性を帯びてくるように思われる。
さて、「麦から(麦殻・麦稈)」は、初夏の季語なのだけれども、これがなかなかややこしい。「麦からを焼く火」は、いったい何を詠んでいるのだろう。引用書では「野焼の火は煙りの中に炎が上がるような所があるが、麦殻を焼く火に煙りは少なく、炎はあっさりと移動していく。」と解説するので、収穫後の麦畑の「野焼き」のことと読んでいるとわかる(普通の野焼きはもちろん春の季語)。そこで歳時記を繙くと、初夏の季語に「麦焼き」が「麦刈」や「麦打」の傍題で載るのだが、「麦からを焼く」の立項はない。あいにく角川は『俳句大歳時記 夏』にも『合本俳句歳時記』にも「麦焼き」の解説がないが、大歳時記の例句に加藤楸邨〈麦殻を焚く火か否か伊豆に入る〉、石原八束〈麦を焼く燎原の火は夜を匐へり〉、有働亨〈遠く低し夜の湖染めて麦燃く火〉が載る。そして、『図説俳句大歳時記 夏』の「麦打」の解説末に、「なお、麦打ちで出たムギのちりは、焼いて処理する。これを麦焼きという。」とあって、ここでどうやら、「麦焼」は、野焼きとは別物をいうとわかる。しかし、先にあげた三つの例句は、どうも野焼きの風景を詠んでいるようにも思われる。さらに、『図説-』に載る「麦焼」と題された写真をみると、どうみても畑で麦藁に火をつけて燃やしており、これだけでは野焼きとの区別が判然としない。さらに古い改造社の俳諧歳時記には所収せず、ようやくわかる説明を見つけたのが平凡社『俳句歳時記 夏』(富安風生編)の「麦打」の解説であった。米とは異なり籾になりづらい麦を、実だけ選別する作業が「麦打」で、「麦打はさかんに「麦埃」をあげる。山のようにつもる麦の塵は、田圃で「麦焼」をして処理する。」と解説があって、やっと麦打ででた塵を田圃で焼くことだとわかった。なるほど、それなら先の三句も了解できる。そして、素逝の句も、こちら「麦焼」のほうで解釈することもできることになるだろう。ところが、再び話はややこしくなるのだが、現在の「麦わら焼き」の使われ方を調べると、どうも、いわゆる野焼きをいうようなのである。しかも、動画の付いている西日本新聞の記事を見ると、先の素逝の句の解説の穏やかな焼け方とはいささかイメージが違う煙の立ち具合である。さてこれは、どう解したものだろうか。
そもそも、「火にひたと夜は来ぬ」という措辞がこの句の眼目であるということが言いたくて書き出したのだが、思わぬ所で話がややこしくなってしまった。ひとまず、素逝の句の魅力はその叙情性にある、ということだけ言って一旦筆を置く。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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