ハイクノミカタ

菜の花の斜面を潜水服のまま 今井聖【季語=菜の花(春)】


菜の花の斜面を潜水服のまま

今井聖

明るくさびしく、どこか懐かしさのある句だ。

この句の「潜水服」を思い浮かべる時、単なるウエットスーツのようなものではなく、なぜだか宇宙服並みのごっつい海底探査にも行けそうな潜水服を思ってしまう。まだ濡れていて、たった今水から上がったような、重そうな潜水服だ。

海や川沿いの景を思えばいいのだろうけれど、渚から徒歩で深海に歩いてゆくということはあまりないだろう。沖から帰ってきたら船がつけてあるのだろうか。そういう風に理屈で考えると初読の潜水服のイメージとは齟齬が生まれそうである。そういう理屈から導き出すのでもない、それでまた異物といえば異物らしい潜水服が、なぜだか初読では説得力をもって思い浮かんで来るのである。また、この句の懐かしさはたぶん菜の花だけに因るものではない。潜水服が這うようにずしりずしりと進んでいくのも、なぜだか変に懐かしいのだ。

「斜面」は、「なぞへ」と読むよりも「しゃめん」と読みたい。句の書き流し方や志すところが「なぞへ」という読み方とは別の方向にあるように思われるからである。

安里琉太



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【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅      森澄雄


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