野の落暉八方へ裂け 戰爭か
楠本憲吉
(『隱花植物』)
空から降る月の光の様を対象にあわせてひらひらと詠んだり棒の如しと喩えたのは川端茅舎で、針が降ると詠んだのは富澤赤黄男であった。彼らには共通して、月光の崇高さとか美を前提に俳句へと言語化する態度を感じるのであるが、掲句のように、落ちていく夕陽の光を、広がりではなく分裂として描き、それを戦争に落とし込むこの詠み方は、崇高や美よりも、退廃や醜さへの志向が感じられるように思う。それにしても、この「戰爭」は、いったい誰と闘っているのだろう。
楠本憲吉は1921(大正10)年12月大阪府の生まれだから、金子兜太や飯田龍太、深見けん二らとだいたい同世代である。現在も名の通った料亭なだ万の創業家の長男。灘校から慶應に進み、大学在学中に清崎敏郎らと俳句会を起こしている。実家の経営に携わる他に、出版社琅玕洞を経営し、俳書を多くだしている。後年には「野の会」を主宰した。昨年の12月でちょうど生誕満100年だったことになるのだけれど、各俳句総合誌で楠本の名がでたことがあったのかどうか。そもそも、楠本憲吉の名が今の俳壇でどれほど取り沙汰される機会があるのかよくわからないのだけれど、その膨大な仕事の量に比して、あまり多くはない印象がある。
俳句の著作も多いが、俳句以外の著作もかなり多く、実家がなだ万ということからか旅や食にまつわる随筆が多いが、図書館の検索ででてきた著書には、『女ひとりの幸はあるか』、『現代ママ気質 ママの考え方と生き方』、『娘達に与える本』などなど、なぜか女の生き方に関する手に取りやすい啓発書(これ、なんと分類すればいいのだろう?)とでもいうような本をいくつもだしている。そのような様々な執筆活動を通して、テレビなどメディアにもよく出てくる人気者であったらしく、講演活動やらなんやらで一年の半分は家を空けていたとも言う。その辺り、家庭を顧みない昭和の男のにおいがしてくるが、きちんとした評伝がでているわけでもないので、情報の断片の集まりから眺めている印象である。ひとまず高度成長期にあって、いろいろな意味で随分華やかな人生を送った人のように思われるが、運がなかったとすれば、同世代のいわゆる戦後俳人達よりも比較的早く、60代で亡くなってしまった(1988年12月)ことだろうか。現在はあまり取り上げられなくなっている理由の半ばは、もしかするとそういうところによるのかもしれないが、一方で、先にあげたような女の生き方を書いて世間に受けていたという彼の華やかな著作活動そのものが、もはや時代とはかなり乖離してしまっているからかもしれない。いずれにしろ、楠本憲吉を戦後俳句史の中でいかに位置づけるかは、まだ輪郭がきちんと見えていないように思われる。
さて、掲句の話に戻る。無季句であるとか、一字あけがあるというのは、「青玄」系の作家の特徴の一つといえようか。『隱花植物』は楠本の第一句集で、初版は1946年の私家版(筆者架蔵本は1978年に深夜叢書社から出た復刻版)。つまり、20代の若き楠本の句作であり、後年の人気者楠本憲吉のそれではない。基本、「私」を詠んだ句が多く、私小説的に読むならば、「少年の商才かなし九月盡」「商人と化すひとときや菊の卓に」など、跡継ぎとしての人生への忌避感の漂う句や、「漠然と女抱くやがて一時打つ」「月爪のごとしこの戀泥のごとし」「爭へば火の鳥めくよ 夜の女」など、退廃的な恋句も少なくない。ちょっと驚いたのは前書に「柴山節子と結婚す」とある「光る靴踏むや瓦礫のわが華燭」。己の結婚式をとらまえて瓦礫を踏むとは、随分な荒みっぷりではないだろうか。後年に先にあげたような女の生き方にまつわるエッセイを量産する楠本の原点として、物語的にはわかりやすい気がしなくもないけれども。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】