琴墜ちてくる秋天をくらりくらり 金原まさ子【季語=秋天(秋)】


琴墜ちてくる秋天をくらりくらり)

金原まさ子


 金原まさ子が102歳で上梓した第四句集『カルナヴァル』はその高齢ということを除いても、過激ともいえる力強さ、淫らな純真さともいえるべき内容で大いに話題になった。多くの評者により エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く とか わが足のああ耐えがたき美味われは蛸 猿のように抱かれ干しいちじくを欲る のような強面の句がとり上げられて讃嘆の声が広がった。

 つらつら『カルナヴァル』のページを繰るに、ふとこの句に出合い、その鮮やかな映像から目が離せなくなった。

 これは想像である、戦後49歳から俳句をはじめた金原まさ子はそれ以前の戦前、十代のころから江戸川乱歩、龍胆寺雄などに親しんでいたというから、同時代に起こったシュルレアリスム運動にもふれていたのではないか。秋天を墜ちてくる琴の図像はシュルレアリスム絵画の典型のようにみえる。

 季語秋天、秋の空の味わいはなによりもその青の深さにある。秋天の一翳もなき思ひなり 風生 じっと秋の青空を見つめていると中天が青から黒に変わっていくような気がしないだろうか。青色がその青さの過剰により暗黒に反転しそうなその中天より一張の琴が私にむかって墜ちてくる、それもくらりくらりと。くらりくらりとは物が繰り返し大きく揺れ動くさま、変転し反転し、眩暈をおこしそうなさま、まさにこの句のために用意してあったような言葉ではないか。琴のあの蒲鉾を引き延ばしたような形状が体操競技のC難度のくらりくらりとした動きをみせる。

 思うに青空こそはシュルレアリスト偏愛の舞台装置ではなかったか。マグリットの青空、ダリの青空、タンギーの、エルンストの、そして日本では古賀春江の。それらの舞台装置は若き金原まさ子の脳内に深くしまわれて、俳句という乗り物を得て百歳を過ぎたある日いきなり琴の図像をともなって甦ったとするのはどうだろう。

 もうひとつこの句から目が離せなくなった理由が私にはある。中川信夫の名作『東海道四谷怪談』(1959新東宝)のクライマックスシーンである。

これはその予告編

 お岩が奇怪な姿に変貌し伊右衛門=天知茂(最高のはまり役)との立回りがひとしきりあって観客の恐怖がピークに達したころ致命傷のひと刺しのように青ぐらい中天から音もなく真紅の蚊帳が裳裾を広げるように落ちてくる、その不意打ち感、その強烈な色彩感、日本映画のシュルレアリスムの到達点である。秋天を落下する琴が時を超えてこのシーンを呼び込んだ。1960年代後半、草月アートセンターでの「世界怪奇映画フェスティバル」での一本。学生だった私はこの催事の映画を全部観たと思う、多分。忘れられないのは私の前席の女性二人がこの蚊帳落下シーンで悲鳴とともに泣きながら走って会場を逃げ出したことだ。以来映画の途中で退出する人を見たのは二回。タル・ベーラ『ニーチェと馬』、テレンス・マリック『ツリーオブライフ』だ、いずれも怒気を含んだ舌打ちとともに。まあ分かるけど。

 怪奇映画のベスト20とか50とか挙げれば必ず入るこの名作『東海道四谷怪談』を金原まさ子は見ていたかしら?封切り時に。もしかしてかなりの映画ファン?というのも ハルポ可愛や生まれるときのウコン色 なる句を句集中ほどに発見したからだった。チャップリンでもキートンでもなくマルクスブラザース!それも奇天烈なハーポ・マルクスの写真まで句に添えているのだもの。

(岡野泰輔)


【執筆者プロフィール】
岡野泰輔(おかの・たいすけ)
1945年、埼玉県生まれ。テニス、サッカー、はものにならず、退職前に出合った俳句にすっかりはまる。(よくあるパターン?)2004年「船団の会」入会。同会散会まで在籍。句集『なめらかな世界の肉』共著に『俳コレ』


【岡野泰輔さんの自選10句★】

野遊びの水の上にも雨が降る

牡丹から出てゆく牡丹のやうなもの

噴水の濡れてちぐりすゆうふらてす

BAKA  BOMBや(パパ)八月の海を見て
爆弾に操縦席とロケットを付けた人間爆弾「桜花」。米軍は「馬鹿爆弾」と呼んだ。

白桃に縫い目なけれど指をかけ

実柘榴や傭兵は寝転んでゐる

渚にて最後のひとり鳩を吹く

色鳥を容れて円筒世界だな

紙でつくる東京のうへ鰯雲

花野より交雑かさねいまの俺


『金原まさ子句集 カルナヴァル』はこちら↓】


【岡野泰輔さんの気になる句集『なめらかな世界の肉』(通称・なめ肉)はこちら↓】


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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