鯛の眼の高慢主婦を黙らせる
殿村菟絲子
(『路傍』昭和35年)
「鯛」は魚を好んで食べる日本人が最上位にうまい魚としているがゆえに、天然物は押しも押されもせぬ高級魚。そしておもしろいことに、馴染みの深い魚なのに、一語では季語にならない。それは、祝い事に出す魚というのが大事で、祝い事は年中あるものだから、ということとか、旬が一つの季に固定できないこととかからなのだろうか。が、掲句の前後がともに春の句であるところからして、どうやら作者はこれを春季で使っているようなのである。そうすると黙った側の目線にたてば、「春になって旬を迎え、鯛の美味しい季節ではあるが、お値段の張る鯛は、魚のくせに眼からしてこちらを見下しているように見え、主婦としては簡単にこれちょうだい、とは言いかね、ただ黙すのみ。」というところだろうか。「高慢」とか「黙らせる」とは、鯛を言うにしてもなかなかひどい言い方であるけれど、あえてそういうデフォルメを加えることによって高くて鯛に手の出ないことを滑稽味を出して表現しようとしたものかと思われる。あるいは、その主婦が嫌いだったのかも、などと思わないでもないが、この句の前が「冴え返る魚の眼におしなべて主婦」であり、これらにもともと連作意識があったのならば、この主婦は特定の人ということではないのかもしれない。そして、「高慢」というのは、自分が優れているとして他者を見下すことを言うのが普通なので、なかなかに感じの悪い言葉であり、詩に使うのは向かないように思う。とはいえオースティンの“Pride and Prejudice”は「高慢と偏見」と訳されてきているのだから、プライドだと思えばこの「高慢」の意味も多少マイルドになるような気はする。ともあれ、句が作られた時代には養殖の鯛がいまのように出まわってはおらず、紛れもない高級魚であったからこそ詠めた一句ということになるだろうか。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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