卒業の子らが机を洗ひ居る
山口草堂
この時期になると、「卒業の思い出」とか言って自分の名前を机に彫り、それがバレて激烈に叱られた同級生がいたのを思い出す。その叱られ方が半端じゃなかったのだ。懐かしい。
机を彫るというのは彼に限ったことではなくて、全国的にも無くはないことだろう。誰かの思い出話なんかで聞いたことだってあるし、Yahoo!知恵袋には、彫った机を何とかしないといけなくなって助けを求めている中学三年生がいる。「卒業の思い出」という気分にもなるのだから、何か抒情的な感慨がそこにはもたらされるのだろう。自分がそこに居たことを、自分のものだったそれに刻み込む。そう聞くと、確かにエモい感じはする。
もちろん卒業生は彫られた机を担いで卒業していくわけではない。卒業生の机はきれいにされた後、また別の生徒が使うことになるのである。この句の「卒業の子ら」も、そのために洗っているのだろう。
ただ、拭いたり落書きを消したりということはあるのかもしれないが、果たして洗うということはあるのか。どうやら愛知県の犬山中学校は、「机・腰掛け洗い」という恒例行事をかなり長くやっているらしい。学校で洗うとなると蛇口の数から考えても効率は悪そうだし、水道代も馬鹿にならないだろうし、たしかに近場の川に持って行って一斉に洗う方が効率的ではある。昔はよく見られた光景なのかもしれない。
毎年、全国でどれくらいの数の机が記念に彫られて使えなくなり、廃棄されるのだろう。五十や百ではきかない気がする。余談だが、学校の机はおよそ一万円くらいするようだ。天板だけ交換するのだろうか。ともあれ、積もればまあまあな額になりそうである。公立校であれば、いわば〝血税〟によって賄われる。
もしここに、少ない額面からそこそこの額が税として持って行かれることに憤り、残された手取りに空虚さを感じる人がいるとして、もし彫って廃棄される机が自分の〝血税〟によって調整されると考えた場合、そういう接続が意識の上にひどく上ってきた場合、その人は彫る抒情をどう眺めるだろう。ひどく馬鹿馬鹿しくて迷惑な彫る抒情に感じるだろうか。
この例に限ったことではない。他者から抒情が眺められる場合、〝抒情に溺れている〟とか、〝抒情に酔っている〟と感じられてひどく白ける場合がある。また、ある抒情が他者に干渉する場合、そこに衝突が生まれ、腹立たしく感じられる場合もある。村社会の伝統に絡みつく抒情が、胸を熱くさせて、やすやすと村のマイノリティーの権利を侵犯させる場合もある。
抒情の働きについて深く思慮しないくせに、抒情を全肯定する脇の甘い書き手が書くものは大概信頼できないし、〝抒情に溺れている〟とか〝抒情に酔っている〟とか、そういう状態に自制が効かない書き手の書くものも大概面白くないのである。
(安里琉太)
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【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「滸」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅 森澄雄
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】