恋終りアスパラガスの青すぎる 神保千恵子【季語=アスパラガス(春)】


恋終りアスパラガスの青すぎる

神保千恵子
(『現代俳句選集』)

 恋の終わりとはいつの時点をいうのであろう。告白して振られた時、恋人と別れを告げた時、恋を諦めた時など、いろいろ考えられる。振られても別れても想いが残っている場合は、終わったとは言わないのではないだろうか。

 『源氏物語』の恋の終わりは、女性の出家や死、結婚などである。理想の貴公子、光の君は、一度でも恋をした女性を自ら断ち切ったりはしない。初恋の女性である藤壺の宮は、光の君への想いを絶つために出家してしまう。俗世と決別した女性は諦めざるを得ない。六条御息所は、光の君の恋人である夕顔や妻の葵の上に嫉妬し、生霊となり殺してしまう。そんな怖い女性と知りつつも光の君は、六条御息所が亡くなった後も誠意を示す。政敵の娘の朧月夜の君は朱雀帝の愛を受け入れ光の君に別れを告げる。人妻であった空蝉は、夫の死後、光の君の六条院に引き取られる。紫の上は、死ぬまで光の君を愛し愛される。自分から別れを告げないずるい男、それが光の君である。自分を愛し続けてくれた女性は、引き取り面倒を見る。甲斐性があるとでもいうのだろうか。

 現代の恋は、そのようなわけにはいかない。誰の小説だったのか、よくある話なのかは忘れてしまったが、とある男性は妻子持ちながら夫の浮気に悩む女性と恋仲になってしまう。その関係はやがて双方の配偶者に知られてしまい、話し合いの結果お互いの家庭に戻ることになる。男性の妻は、女性との別れの苦しさに荒れる夫を静かに見守る。程なくして男性は、上司に気に入られ出世街道のレールに乗り始める。そんな折、別れた女性から「助けて欲しい」との連絡がくる。女性の夫は、妻の恋を許し自身の恋も精算してくれたのだが、会話のない日を過ごしているという。男性は、淋しさに苦悩する女性の白い手を握ろうとして止める。その手を取ってしまったら地獄へ逆戻りになるからではない。課長への昇進が決まった男性は、彼女への興味が無くなってしまったのだ。電車に乗る女性の背に「さよなら」と言った時、恋が終わったと実感する。

 私の友人のカメラマンは、大学時代の恋人と同棲していた。卒業後、収入が安定したら求婚するつもりでいたらしい。ところが、収入が増えると仕事も忙しくなり一緒に過ごす時間が無くなってしまった。ある日突然、恋人は荷物をまとめて去ってしまう。数か月後、仕事の依頼が減ったカメラマンは、部屋に残されていたネックレスを渡すという名目で、別れた恋人を呼び出す。彼女は、無邪気に新しい恋の話をしていたという。失って初めて気付く恋心だったが、もう追うことはできない。「元気な姿を見られて良かった」と告げて別れた。一年後、同窓会で再会した二人は関係を持つ。カメラマンは、週に一度の逢瀬を続けた彼女に、今度こそ求婚しようと「指輪を贈りたい」と告げる。だが彼女は「私が部屋を出てゆく時、追いかけて欲しかったの。でも追いかけてはくれなかった。だから私は、愛してくれる恋人を見付けたの。だけど、あなたへの未練はあったから再会して愛を確かめ合った。それで分かったの。今の恋人が一番好き。片想いのまま別れるのが嫌だった私の我儘なの。求婚してくれてありがとう」と言った。女性には女性なりの恋の終止符の打ち方があったのだ。カメラマンは、彼女の気持ちを何一つ分かっていなかったことに衝撃を受けた。数日後、彼女の結婚式の招待状が届いた。欠席の文字を丸で囲む時、恋は終わったと思ったらしい。

  恋終りアスパラガスの青すぎる  神保千恵子

アスパラガスは、幼い頃、農家の間で急に流行した野菜である。農協に卸すと高値で売れた。洋食好きであった母は、近所の主婦に調理の仕方を教えた。バター炒め、ホワイトソース煮込み、ベーコン巻きなど。私が今でも一番好きな食べ方は、塩茹でして真青になったアスパラガスにマヨネーズをたっぷり付けて噛むこと。採れたてのアスパラガスは、筋もなく簡単に噛み切れる。東京に住むようになって、アスパラガスの茎には筋があることを知った。しかも細い。さらには、北海道出身の夫の実家のアスパラガスは、太くて噛み応えもシャキッとしており感動した。

 当該句のアスパラガスは、茹でたものであろう。恋が終わったはずなのに〈青すぎる〉と表現したのは何故だろうか。子供っぽさを残した男性に惹かれる女性は多い。母性本能をくすぐるタイプの男性は守ってあげたくなるし、女性を笑わせるのが上手い。その男性の青臭さを愛すると苦労することになるのだが。

 酒の味を覚え始めた頃のことである。飲食店の開店パーティーで知り合った美青年のハヤミ君は、女子達の憧れの的なのだが、酔いつぶれてしまう。同じ路線であった私が家まで送っていった。翌日、ハヤミ君は、昨日のお詫びと称して、私の部屋でビーフシチューを作ってくれた。サラダには真青なアスパラガスが添えられていた。当時は、料理上手な男性は遊び人という認識があったため、絶対に恋をしてはいけないと思った。というのは自分に自信を持てなかった若さゆえの言い訳でもあるが、その時は、野暮ったい偏屈な男性に夢中であった。恋の悩みを打ち明けつつ、卓袱台を挟みながら語り合ったハヤミ君は魅力的な眼差しを持っていた。不器用な私に「友達から始めよう」と言ってくれたハヤミ君。私が失恋した時に抱きしめてくれたハヤミ君。さらには永遠の愛を誓ってくれたハヤミ君。なのだが、交際を始めた途端、私の作った料理に難癖を漏らしたのだ。コクが足りないとか、野菜を炒め過ぎとか。料理上手な美青年には誰にも話せないコンプレックスがあった。逃げる獲物を追いかけて得た時、どこまで自分を愛してくれるのか試したのだ。若かった私は、そんな男性の矜持に疲れてしまった。ハヤミ君の境遇を知りながら罪悪感とともに別れを告げた。その後、私の友人に「俺が振ってやったんだ」と言い触らしていることも目をつぶった。だが真夜中に何十回も電話をしてきて、私の睡眠を妨げた時、恋は憎しみに変わった。

 仕事の関係で知り合ったマイカさんは、幼馴染のウミオ君に長い間恋をしていた。告白して振られて疎遠になった時期もあるという。ウミオ君は、恋人に振られるたびにマイカさんをドライブに連れ出した。「マイカとは、ずっと分かり合える友達でいたいから」というウミオ君の言葉を信じた。いつか、自分を選んでくれると。そんなある日、マイカさんは、会社の同僚男性と一夜を過ごしてしまう。「私は好きな人がいるの」と告げても同僚男性は諦めない。ウミオ君への想いを残しつつ婚約し、あっという間に結婚式の日取りまで決まってしまう。結婚式の数日前、ウミオ君とさよならのキスを交わす。その時、何も感じなかったらしい。もう好きではないのだと悟ったとか。結婚を決意したにも関わらす、初恋の男性とキスをしたマイカさんを誰が責めることができようか。恋の終止符は女性が打つのだ。そんな時、女性は相手の男性の気持ちなど考えもしない。

畑に伸びるアスパラガスを手折るように女性は過去を切り捨てる。アスパラガスの筋は吐き捨てる。男性は、嫌気がさして振った女性に対しても未練のような筋を噛み続けてしまう。それもまた、女心としては嬉しいのだが。

篠崎央子


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篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

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>>〔87〕深追いの恋はすまじき沈丁花  芳村うつぎ
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>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
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>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
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>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
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>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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