手を入れてみたき帚木紅葉かな
大石悦子
(「新版角川俳句大歳時記 秋」)
帚木(ははきぎ)はヒユ科(以前はアカザ科)の一年草。ホウキグサとも。実の「とんぶり」は秋の季語だが、帚木は晩夏の季語。掲句は「帚木紅葉」なので、秋。あの箒をひっくり返したような、細かく枝分かれした帚木の、茫とした様に何か異界との境のような感覚を見て取ったもののように見える。ただし、そのような視覚情報からの感覚的な印象のみに留まる句とも思われない。
『源氏物語』第二帖「帚木」中の贈答歌、
帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな 光源氏
数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木 空蝉
における「帚木」は、信濃の園原の森の中の一本の木(檜とも)の伝説をふまえ、遠くからは箒のように見えている木が近づくと消えてしまうので、近づいていくと会ってくれない人にたとえられることに拠る。遠くから見えて近づくと消えるのだから、これは大きな木で「ホウキグサ」のことではないが、引用した句の「手を入れてみたき」という措辞は、この源氏の歌と近づけば消えるという木の伝説を暗に踏まえて詠んでいるように思うのだが、どうだろう。
ところで、「新版大歳時記」では、掲句を「紅葉」の項に入れてある。たしかに名前は「帚木」だが、木ではなく草なのだから草紅葉の項に入れるべきじゃないのかと思う。ついでに言えば、マムシグサは晩春の季語だけど、マムシグサの実は晩夏初秋あたりの季(「草の実」に入れれば秋)だと思うのだが、「新版大歳時記」はマムシグサの実を詠んだ句を春のマムシグサの項に載せてあり、誰が判断したのかは知らないが、さすがにこれは駄目なんじゃないかと思う。話を戻してさらに言えば、「とんぶり」の項では帚木はアカザ科とあり、「帚木」の項ではヒユ科とあるのとかも褒められた話ではない。さらに、「帚木」の解説だけ読むと、ホウキグサが『源氏物語』の帚木であるような解説がなされている(旧版も同様)のだが、これは何か根拠があってのことなのだろうか。
(橋本直)
【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】