六月を奇麗な風の吹くことよ
正岡子規
(「病餘漫吟」明治28年夏)
引用は『子規全集』第21巻(講談社)から。「須磨」と題がある。他に「寒山落木」巻四の「水無月」の項に所収。「病餘漫吟」も「寒山落木」も生前未発表の草稿のようなものだから、初出はやや下って新聞「日本」明治31年7月2日になる。
前から好きで、率直に良い句だな、と思うのだけれども、子規生前の刊行である自選句集『獺祭書屋俳句帖抄 上巻』(明治35年)にも、没後に虚子と碧梧桐が編んだ『子規遺稿子規句集』(明治42年)にも未収録である。どうやらこの句の良さに気づいたのは老境に入った虚子ではないかと思われ、「寒山落木」から佳句を選んだ岩波文庫の虚子選『子規句集』(昭和16年)にこの句を見出すことができる。この句や「あたゝかな雨が降るなり枯葎」などのように、子規は写生がどうこうとかいうよりも、奇を衒わず素直な表現がサッと口を突いて吐き出された(ように感じられる)ものに佳句が多いように思う。
よく知られている通り、子規は日清戦争の従軍記者として大陸に渡った帰りに大喀血して死にかけ、同乗していた相島虚吼らに助けられて神戸病院に担ぎ込まれた。記録を読んでいると、それからしばらくは喀血を繰り返し、本当に死んでいたかも知れないと思うほどひどい状況が続き、医師が念のため家族を呼ぶように話したりしている。幸い、死地は脱した。「寒山落木」で「水無月」に入れてあるので、この「六月」は旧暦のものと見るべきだろう。明治28年の旧暦の6月は新暦7月22日から8月19日までのようなので、その頃の子規の様子を見ると、最悪の状況を脱して寝たきりで消耗した(自力で動けず人に助けられてつかまり立ちしている)身体を動かし、リハビリに励んで積極的に外出をしていた時期に重なる。神戸病院から須磨保養院へ移ったのが7月23日のことなので、この句はまさに須磨に移ったばかりの時に詠んだのかも知れない。たぶん、そうなのだろう。だから、「奇麗な風」は、病室で死ぬほど血を吐き続け、動かなくなった身体が快復し、ようやく屋外に立った時に見えた風の実感なのだと思う。須磨に移った翌日には早速須磨寺へ行き、江戸時代からあるという名物「敦盛蕎麦」を食べているのはいかにも食いしん坊の子規の真骨頂で、神戸で死ななくて本当に良かったな、と思う。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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