クリスマス「君と結婚していたら」 堀井春一郎【季語=クリスマス(冬)】


クリスマス「君と結婚していたら」

堀井春一郎
(『堀井春一郎全句集 曳白』)

 「君と結婚していたら」などと言う男にロクな奴はいない。そもそも本心で言っているとは到底思えないのだが、クリスマスに囁かれたら本気にしてしまうかもしれない。

 漫画『東京タラレバ娘』(原作:東村アキコ)が流行ったのは数年前のこと。主人公の倫子は33歳で独身の脚本家。高校の同級生である香と小雪と三人で女子会を重ねながら「あの時結婚していたら」とか「○○していれば」と仮定の話ばかりしている。過去の後悔を含めた仮定もあれば未来への妄想仮定の場合もある。仮定の「if」の話ばかりしていても前には進まないのだが、キャリアウーマンの三人は夢みる乙女でありつつもしっかりと現実に抗っている。何事においても中途半端なようでいて、本人たちはいたって真剣である。女性の社会的な立場を考えると応援せずにはいられない。多くの共感者を得てドラマ化もされた。

 「君と結婚していたら」そんなことを言われたら私はどんな反応をするのだろうか。とその時点でもう仮定である。結論から言うと「あり得ない」と答えるだろう。絶対に言われることもなければ、言うこともないからこそ想像して楽しめるのだ。ただ、人生において「あの時こうしていたら・・・」という後悔やその後の妄想は誰しもあることである。仮定の話というのは、夢がある。自分のなかのパラレルワールドは、考え始めると甘くて止まらなくなってしまう。仮定の空想に酔う時間が人には必要だ。

 1993年のオムニバスドラマ『if もしも』の出だしはストーリーテーラーのタモリのセリフから始まる。「if もしも…人が皆、孤独な旅人であるとしたら、貴方はやがてある二股の分かれ道に突き当たるのです。右に行くべきか左に行くべきか貴方は大いに迷う。或いはうっかり気づかなくて通り過ぎてしまう。かくして現在の貴方があるわけですが、ひょっとして別の道を選んでいたほうが幸せになれたかもしれないのです。もしも、こっちを選んでいたら…if もしも…」。予定調和なドラマの展開に食傷したものの、私ならどうするだろうかと妄想力を養うことになった。

 とある職場で二人の男性から口説かれたことがある。一人は軽いノリの営業マンでプレイボーイとの噂があり、もう一人は真面目な事務職男性。不幸な性格の私は、プレイボーイと交際することになった。毎日のように電話やメールをくれて、デートの場所もお洒落。話も面白い。特に淋しい想いも傷つくようなこともなかったが、金銭感覚の無さが気になった。借金をしてまでブランド品で身を固め、カードの限度額がぎりぎりでもスイートルームを予約するような、少々見栄っ張りな性格。見た目ばかり華やかで中身の無い人のように思えた。そんなある日、真面目な事務職男性と仕事のトラブルから遅い時間まで会社に残った。的確な判断力や細かい気配りに惹かれた。プレイボーイとの交際も倦怠期に差し掛かっていたこともあり、あっさりと乗り換えた。事務職男性もまたマメな人であった。手先が器用で料理も作ってくれた。プレゼントなどもブランド品ではないものの趣味の良い物が多かった。当然結婚も考えたが、物足りなくなって別れてしまった。四角四面ではみ出したところが無く、説教臭いところが重荷に感じた。

 いつも「if」の世界で空想にばかり耽っていた私は、現実の世界では恋ができなくなっていたのだ。二人とも交際せずに終わっていたら私の「if」の世界のなかで理想的な王子様のままでいられたのだろう。私の場合「君と結婚していたら」の後に続く言葉は「すぐに離婚していたよね」である。

クリスマス「君と結婚していたら」 堀井春一郎

 作者は、9歳の頃に長谷川かな女に師事。「水明」への投句を経て、23歳の頃に山口誓子の「天狼」に入会。秋元不死男の「氷海」、「琅玕」にも参加。46歳の時に総合誌『季刊俳句』を創刊するも4号で終刊。49歳死去。大学卒業後は、教師をしながら俳句に命をかけた。その一方で「情痴俳人」とも呼ばれている。教師の職も妻子も捨てて、湯河原の芸者と九州へ逃避行をしているのだ。知人の俳人夫婦の家に転がり込んだと言われているが、何とも迷惑な人である。

 掲句は同棲することになった愛人に対して発した言葉だとすると、かなり深刻な意味を帯びてくる。少し前の句に〈九州に落ちなむ短夜抱き明かす 春一郎〉〈それ以来泣かぬ女を秋蚊刺す 春一郎〉〈米とぐ冬むかし芸妓の白指よ 春一郎〉〈からむ枯草神の手錠の見えぬ恋 春一郎〉がある。その逃避行の日々を詠んだ第二句集『修羅』について「転落の翳りを深く刻まずにはいられなかった」と述べている。春一郎にとって、愛人との恋は、人生の「転落」であったのだ。

 最初から「君と結婚していたら」転落しなかったのかと言えばそうではないのだろう。所詮は〈神の手錠の見えぬ恋〉だったのだ。妻子が居てこその教師の職であり、その束縛から逃れるための恋だったのではないか。逃げたところで互いが苦しみあうだけであった。男の弱さ狡さ優しさの垣間見える発言である。抒情的な境涯俳句を詠む作者であるが、掲句は作者を離れて鑑賞した方がはるかに面白い。

 友人のTさんには仕事一筋の夫がいる。クリスマスも結婚記念日も仕事。子供のことも近所付き合いも「君に任せるよ」としか言わない。彼女の口癖は「別の人と結婚すれば良かった」である。Tさんには、大学時代から交際していた男性と婚約までした過去があった。25歳の時に相手の男性の転勤に伴い東京に引っ越してきた。一緒に暮らし始めた直後に父親が倒れたため、ひと月ほど東北の実家に帰省をした。その間に婚約者は、職場の女性と関係を持ってしまう。土下座して謝ってくれたが、許すことはできなかった。傷ついたTさんを慰め熱烈な求婚をしてくれたのが仕事一筋の夫である。本来ならハッピーエンドの話だ。結婚はシンデレラのようにはいかないものだ。40歳を過ぎた頃に同窓会で昔の婚約者と再会してしまう。別れた時の恨み辛みも忘れて心がときめいたという。二次会では、互いの家庭の愚痴を語り合って盛り上がった。街角にはクリスマスツリー。「あの夜、君が作ってくれたホワイトシチューはとても温かくて幸せな気持ちになった」「仕事を途中で切り上げて走ってきたから汗だくだったじゃない。プレゼントはエプロンだったよね」「妻は、キャリアウーマンだけど料理は不得意でさ。今でも君の料理が恋しくなる時があるよ」・・・。残念ながら焼け木杭に火は付かなかった。だからこそ幸せなのだろう。過去の恋人の言葉は、今もTさんの心を支え続けている。あの人と結婚していたら・・・。

篠崎央子

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央子さんからのコメント☞「日暮里駅西口より徒歩2分。彫塑館近くの初音小路より入ります。当日は、私がママとしてカウンターに立って句会を仕切ります。お料理も出すわよ~。お楽しみに!!」


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
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>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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