鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
波多野爽波
『鋪道の花』
何度読んでも気持ちのよい句だ。「鳥」というざっくりした把握と「入」るという無機質な言い方は、あたかも観察者がいないかのような、句だけがそこに浮かんでいるかのような心地よい錯覚をもたらす。あるいは作者の匂いがしないことによって、読者それぞれがまさにその観察者であるかのようにも思える。読者として深く共感し、あるかなきかの記憶さえ呼び起こされるのは、爽波が自らの存在感を句から消し去っているからだ。
鳥の巣を見上げている春のひととき。そこに折よく鳥が飛んでくる。その鳥がなんという鳥で、どんな様子であったかは私たちが思い描いていい。鳥であること以外分からなくてもいい。もとより鳥の巣はふつう眼前にはない。
この句は、細部にこだわるのでなく、場面そのものを切り取る大きな視点によってこそリアリティを獲得した。爽波はたとえば「いま見えた鳥は何色で、羽はこうで、嘴はああで」というような一回性のある発見に固執することをここではしなかった。むしろそうしたことを言わずに臨場感を表現した。正確には、「いま」「わたしが」「このように」見たという特殊性(それは作者だけがもつ特権的な部分でもある)をはっきり棄ててしまったことで、私たち読者の中に「現実」を描いたのである。
実際に爽波は、俳句における「自分」について次のように語っている。[1]
僕には自分の世界をなんて意識なんか何もないわけですわ。もしあるとすれば、現場へ行ってそれを消すわけです。写生というのはそういうものですね。頭の作用をともかく排除していって、そして、予期もしていなかったものにいかにして出会えるかということですよ。自分の世界というのはそういうものの累積の中に結果として出てくるものでしょ。
自分の世界を消そうと努めた爽波の句には、それだけ読者が自分事のように受け取ることのできる「隙」がある。また、後半部分は耳が痛い。最初から自分らしさを意識するのではなく、ひたすら句をつくり続けた先で、それらの句によって初めて、帰納的に自分の世界が示されるということだろう。
余談だが、田中裕明が〈寒林を煙の抜けてゆくところ 『夜の客人』〉、山口昭男が〈氷柱より光のぬけていくところ 『木簡』〉と詠んでいるのも面白い。「寒林」の煙の所在なさげな動きや、「氷柱」の輝きを捉えなおしたまなざしは、ともに「ゆく/いくところ」に表現される時間の幅によってその魅力を十二分に発揮する。題材と合わせて、それぞれの視点や詩情の違いを楽しむことができる。
と、ここまで一気に書いたが、爽波や「青」が好きな俳人からすると言い尽くされていることかもしれないとも思う。そのような方には、おさらいと思ってご容赦いただきたい。「類型をおそれよ。そして恐れすぎることのないように。」これは裕明のことばだったか。[2]
(山口遼也)
[1] 『青』1983年8月号「写生と私 その態度と方法について」より
[2] 『ゆう』2000年7月号「『ゆう』の言葉」より
【執筆者プロフィール】
山口遼也(やまぐち・りょうや)
1998年生まれ。「秋草」所属。
第1回秋草よしきり賞、第14回石田波郷新人賞。
Twitter:@yakou_haiku
ご依頼、ご感想:yakou.haiku☆gmail.com (☆→@)
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】
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【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】
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【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】
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【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】
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>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア 豊口陽子
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【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】
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【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】
>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる 野見山朱鳥
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>>〔3〕春天の塔上翼なき人等 野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし 野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海 野見山朱鳥
【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】
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【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】
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>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
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【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】