春雷の一喝父の忌なりけり
太田壽子
ある春の日、雷が鳴った。職場に居合わせた人達は「雷だ」「怖い」「雨降るかな」などと口にしていたが、その中の一人が「あ、春雷」と言った。素敵な響きだった。「かみなり」と「しゅんらい」では柔らかさが段違いである。読書が好きな彼女には雷よりも春雷の言い回しの方がしっくりきたのだろう。その一言で急に親近感を持った。以来、春の雷に出会う度に「春雷」と口に出したい気持ちが止まらない。
あまり接点がなかったのでいつか句会に誘いたい、良いきっかけがないかと思っているうちに彼女は退職してしまった。誘いたいと思ったらすぐに声をかけなければ、いつ会えなくなるかわからないのだ。
昔聞いた話。パリ在住の日本人男性が様々な国籍のきらびやかな女性と遊びつくした末に地味な日本人女性との結婚を決めたきっかけは、ある朝「あ、雨」と窓越しの街並に見入っていたからだという。他の女性は雨が降ると苛々したり毒づいたりしていた中、その女性だけは雨を悪いものと受け取らず、むしろ風情を味わっていたからだ。
「春雷」に「雨」。女性たちを美しく見せる一言はいずれも水分が多い。
春雷の一喝父の忌なりけり
春雷のなかでも立春後最初に鳴るのは初雷、啓蟄の頃によく鳴るので虫出し(の雷)とも言う。今日は七十二候でいうところの雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)。雷が遠くの空で鳴りだす頃である。七十二候通りに花や鳥を見つけると心が躍るが、さてアップ当日の今日はいかがだろうか。
虚子編『新歳時記』の春雷についての解説の中にある、(雷は夏に多いが)「柔かな春にはためくのも趣がある」という一文が好きなのでここに記しておく。雷がはためく!
春の雷は音が柔らかいのが特徴的だ。それも一度か二度くらいしか鳴らないので「聞こえた」「聞こえない」の会話になることが多い。
さて掲句。春雷の音に亡きお父様の一喝が重なった。身内の忌日の句は感傷的になりがちだが、掲句は感傷に溺れておらず、かといってドライでもなく、程良い距離感を保っている。「春雷」がお父様の人柄を語っており、その距離感に寄与している。夏の雷鳴のような怒り方では無かったのだろう。柔らかいけれども一喝しているのがわかる。そんな理想的な叱り方をしてくれる父親のもとでのびのびと育ってきたことだろう。
あるいは亡くなってから随分時間がたってしまったのかもしれない。記憶は良い方向に塗り替えられることがあるので、当時は怖かったとしてもあまりに遠い日のことで記憶の中の声までヴェールに包まれてしまっても不思議はない。
『高円』(2009年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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【吉田林檎のバックナンバー】
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】