紙魚の跡たどりて紙魚に逢はんとす
後藤夜半
「あう」という言葉はどの漢字を当てるかで少しづづニュアンスが異なる。「会う」は最も一般的な用法で、“同窓会”や“面会”のように、目的を持ってある場所で人と顔を合わせること。「遭う」「遇う」は“遭遇”とも言うように偶然の出会いだけれど、”遭“なら”遭難“のように好ましくない事態、”遇”なら”千載一遇”のようにラッキーな経験に用いられる。「逢う」は、「会う」よりも親愛の色合いが濃くなる。“逢瀬”、”逢引”などが分かり易い例ですね。
そんな付け焼刃の知識を披露するまでもなく、掲句が紙魚を忌避していないことは明らかだ。古書を喰い荒らす害虫なのに、その姿を一目なりとも拝みたいとページを繰るというのだから、本好きとは不思議なものだ。ネット検索で紙魚の画像を見たが余り気持ちのいい虫ではない。ウィキペディアではその形状を涙滴型などと情緒的な形容をしているが、頭とお尻に長い触覚が生えているし、節足動物が苦手な当方としては結構引く外見だ。これが1-2ミリの体長ならまだしも1センチほどもあるらしい。おまけにその動きはくねるようにすばしこいのだとか。本を開いてそんな生物に遭遇したならば、私なら楳図かずおの漫画よろしく「ギャーーーッ!」と声を上げて本を放り出すだろう。
逃るなり紙魚が中にも親よ子よ 一茶
月明の書を出て遊ぶ紙魚ひとつ 大野林火
紙魚のあと一つ一つがなつかしく 鈴鹿野風呂
本を出て遠くゆきけりあはれ紙魚 山口青邨
紙魚走るプトレマイオスピタゴラス 今井肖子
ところが、俳句では昔から紙魚は気味悪がられるどころか、愛玩動物並みの扱いを受けている。例句としてほんの一部を挙げたが、凡そ誰もが目を細めてこの昆虫を詠んでいる。書物に耽溺する人たちは紙魚に己が姿を重ねるのだろうか。能村登四郎に至っては「紙魚ならば棲みても見たき一書あり」と紙魚に転生しかねない勢いだし。
後藤夜半の掲句ではたと思い出したのが、暫く前に読んだ吉田篤弘の『パロール・ジュレと魔法の冒険』という小説だった。これがまさしく「紙魚の跡たどりて紙魚に逢はんとす」を地で行くストーリーなのだ。風変りなのは紙魚を追跡する主人公もまた紙魚という設定だ。正確には主人公は人であり、職業は諜報員。但し、彼らは諜報活動のために目的地へ潜入する際に何と紙魚に変身するのだ。紙魚となって書物から書物へ、時には時空を超えて渡り歩く。主人公は007のように“十一番目のフィッシュ”とコードネームで呼ばれる。そうやって辿り着いた土地で彼は同業のフィッシュらしき人物たちの足跡を辿り、時に辿られ、遇ったり、遭ったり、逢ったりするのだ。冒険あり、恋愛あり、発話を巡る哲学的考察もあり、政治に対する皮肉を交えつつ、ユーモアも忘れない、と一筋縄ではいかない小説にここでこれ以上深入りするのはよしにする。言いたかったのは、作者吉田篤弘もまた紙魚や紙魚を寛容する書物に魅入られた一人なのだろうということであります。
書籍が電子化へ舵を切って久しいけれど、紙魚推しの浪漫的俳人たちのためにも紙の書物はなくならないでほしい。尚、紙魚は紙以外のものを食料にして生き永らえることが出来るそうで、俳人が夢見るより存外しぶとい奴らですよ。
(『底紅』角川書店より)
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】