あきざくら咽喉に穴あく情死かな 宇多喜代子【季語=あきざくら(秋)】


あきざくら咽喉に穴あく情死かな

宇多喜代子
(『りらの木』)

 映画でもドラマでも自刃する時は、喉に短剣を突き立てるシーンが印象に残る。喉に思いっきり刃物を刺しても骨に当たるので、その横を流れる頸動脈を切り、出欠多量で死に至るのだと理解していた。近年の映像では、頸動脈に沿うように刃物を当てている。

 情死とは、相愛の男女が一緒に自殺すること。心中ともいう。この世で添い遂げることのできない男女が永遠の愛を誓う証として死を選ぶ行為は、遥かな昔より行われてきた。愛の絶頂で死ぬことにより二人の恋は美しいまま封印される。

 人は、恋をすると死ぬと考えられていた。恋とは、反社会的であり共同体のルールを乱す。恋が死罪に直結する場合もある。叶わぬ恋の苦しみから逃れるために死を選ぶ者も多かった。あるいは、恋の病により食べ物が喉を通らず免疫力低下により死に至ることもある。物語ではいずれも美しく描かれ、遠い世界の出来事のように思えるが現実にも恋の死は存在する。

 情死に至る原因は、禁忌の恋である。古代日本であれば近親相姦。『古事記』の軽皇子と軽皇女、狭穂彦王と狭穂姫命は、同母兄妹でありながら恋愛関係となり一緒に死ぬ。その背景には、皇位継承を巡る政治的な諍いがあった。政治的敗北による死と同列に禁忌の恋が語られていることが興味深い。禁忌の恋は、社会的な死を意味する。

 江戸時代に「心中もの」を流行らせた近松門左衛門の作品は、お金や義理の末の情死が多い。当時は遊女が、身請け金を用立てできない男、あるいは妻子や稼業の都合で身請けができない男と恋仲となるも、別の男に身請けされ、心中を選ぶことがあった。遊女としては、惚れた男以外の妻になるぐらいならという想いなのだろう。男としては、他の男に取られるぐらいなら女を殺して自分も死ぬという心境。犯罪者と恋仲となった遊女が男の処刑後に後追いをすることもあった。これも情死といえよう。愛する人が死んでしまえば、生きている意味がない。死ぬことで最後の恋となる。死ぬ方法としては、喉を突く他に入水、首つりがある。近松門左衛門『心中天網島』の治兵衛は小春の喉を刺し、自らは首を吊る。いずれも苦しい死に方である。

 近現代の情死は、太宰治が有名だ。泥酔した末にお互いの腰に縄を縛り付け、増水した玉川上水に飛び込んだ。太宰は、その前にも心中事件を起こしており、相手の女性を死なせている。鎌倉の海で睡眠薬(カルモチン)を多量に飲んだ服毒自殺である。苦しまない方法を選んでいるのが太宰らしい。

 私が大学卒業間近の頃、高級ホテルにて大学教授と大学院生が服毒自殺をした。年齢差20歳。教授の遺書には「二人の愛の最終的な結論」と書かれていた。卒業式の後の謝恩会がそのホテルで開催されることが決まっており、衝撃を受けた。若い私は、教授と大学院生の恋が少し羨ましく感じた。血を残さない服毒自殺。広いベッドで抱き合って死ぬ。情死するなら高級ホテルが良いとまで思った。大変迷惑な話である。

 古代エジプトの女王クレオパトラは、最後の恋人アントニウスを焚きつけて戦に挑むが戦況が不利になるやいなや撤退。果敢に闘い続けるアントニウスに裏切者と誤解されていることを知ると、敗北を予感して死んだとの情報を流す。愛する人の死を聞いたアントニウスは、自刃。10日後、クレオパトラは蛇に首を噛ませて死ぬ。諸説あるが敗北の末の情死である。毒薬に精通していた美女が蛇を絡ませて死ぬというのは、官能的である。

  あきざくら咽喉に穴あく情死かな   宇多喜代子

 〈あきざくら〉とはコスモスのことである。メキシコ原産の植物でヨーロッパにて品種改良され、日本には明治時代に渡来した。キク科の植物であることから親しまれ、色合いも日本の風土に馴染みやすかった。栽培種なのだが、河原や山路で見かけることもある。観光地では、野原一面にコスモスを咲かせ人寄せすることもある。コスモスには、幼い頃の記憶を呼び起こすようなあどけない雰囲気があり、無邪気に詠まれることが多い。恋で詠むなら純愛がふさわしい。

 掲句は、乙女の純愛を覆すような展開が恐ろしい。コスモスはピンクのイメージがあるが、血よりも濃い色合いのものもある。恋多き女の塗る口紅のような色。男を惑わす毒婦とは、寂しい存在である。満たされない愛欲により激しい情をぶつける。普通の男ならその気持ちを受け止めきれず逃げてゆく。ところが、情にほだされ虜になってしまう男もいる。どんなに尽くしても愛を疑う女に死を以て忠誠を誓う羽目になる。孤独な女は、愛されているうちに死んだ方が幸せだと思ってしまう。なぜなら、恋はいつしか冷めることを知っているからだ。純粋に直向きに人を愛していたのに報われなかった経験のある男女が出逢うと咽喉に穴があく恋となる。

 昨年の夏、帯広高校教師死体遺棄事件が教員たちを震撼させた。妻子持ちの教員男性A(36歳)は、不倫関係にあった元同僚の人妻教員女性B(47歳)を絞め殺した後、死体を雑木林に埋めた。殺害の動機は、「一緒に死のうと思った」。年齢差10歳のダブル不倫の果ての悲劇。両者とも生徒やPTA、教育委員会でも好感度の高い教員であった。

 二人が同じ高校の同僚であった数年間には、交際の噂があったものの、同志のような関係として認識されていた。事件の数か月前、人妻教員Bにとっては10歳年下の恋人Aに子供が生まれた。Aは、子育てのため妻の実家に近い学校に転勤し、Bに別れを告げる。ところが年上の人妻Bは、別れを納得せず執拗にAを追いかけた。自殺をほのめかし、手切れ金を要求。Aは、総額700万を支払うも、一日に数百回もの着信。待ち伏せは当然ながら自宅付近まで押しかける。昨年の夏の深夜、焦りを感じたAは、Bを車に乗せ近所の駐車場で話し合う。夜が白む頃、恋人の激しい感情にほだされて「一緒に死のう」と切り出した。Bは静かにうなずいた。シートベルトを首に巻き付け、さらにゴム手袋を嵌めた指で締め付けた。Bもまた巻きつけられたシートベルトを引っ張り、自身の首を圧迫したという。一緒に死ぬ予定であったAは、翌日死体を雑木林に埋める。数日後、Bの夫は、行方不明となった妻とAとの関係を疑っていたことから事情聴取に呼び出す。Aは、最初は否認していたものの罪悪感からか殺害と死体遺棄を供述した。発掘されたBの死体には争った形跡がなく、心中を受け入れていたと思われる。ただ、Aがゴム手袋やスコップを用意していたことから計画的殺人であったのではないかとの疑いがある。

 驚いたのは、お互い合意のダブル不倫の手切れ金として700万を支払ったAの金銭感覚である。妻子持ちの高校教員に支払える額なのだろうか。全財産を注ぎ込むほどの愛情をBに持っていたということなのだろうか。「妻子を殺してやる」と脅されたから支払ったのかもしれないが。その額に納得しないBも驚きである。恋とは金では解決しないものなのだ。突き詰めてゆくとお互いの喉をあけるほどの事態に落ち入る。それが、社会的に許されない恋であるならばなおさらだ。

 50歳近い人妻教員Bは、お洒落な美人だが、子供には優しく庶民的な一面があったという。メディアが報道したような美魔女ではない。純粋で一途な女性だったのだ。夫がありながらも10歳年下の男性と恋仲になるなんてアラフィフマダムにとっては羨ましい限りだ。だが、大人の恋は命がけの遊びである。淡いピンクのコスモスも品種改良が進めば血よりも赤い花びらを滲ます。恋の初めは純愛、煮詰まれば喉に穴があくこともあるのだ。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
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>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
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>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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