毛糸玉秘密を芯に巻かれけり 小澤克己【季語=毛糸玉(冬)】


毛糸玉秘密を芯に巻かれけり

小澤克己
(『小澤克己句集』)

 〈毛糸〉は冬の季語である。11月になると手芸店には色鮮やかな毛糸が並ぶ。私は、少女漫画の影響で毛糸編みに興味を持った。クリスマスに好きな男性へイニシャルの入ったマフラーをプレゼントする。これは、昭和生まれの少女の夢であった。〈ある期待真白き毛糸編み継ぐは 菖蒲あや〉の世界である。マフラーでもセーターでも、編みあげるのにはひと月ぐらいの時間が掛かる。恋の歌の流れるラジオを聞きながら、どうやって渡そうかとか、最後まで編みあげたら恋が成就するかもとか、期待と祈りを込めて編む。恋に恋する少女には、淡く温かな時間であった。

 毛糸は、現在では編みやすいように機械で巻かれた状態で売られているが、束で売られている場合もある。編んでいる時に毛糸が絡まらないよう球状に巻きなおして編み始めるのが一般的であった。また、一度編んだものをほぐして最初から編み直す場合も球状にする。毛糸の先端を指で挟み手の平でぐるぐると巻いた束を抜き、縦に横に巻いていくと最終的に球状の毛糸玉になる。男性からしたら、一本の毛糸を手毬ぐらいの大きさの球体に変えてしまう女性の手際は不思議に思うであろう。

 高校時代、密かに交際していた男性のためにマフラーを編んだ。オリーブ色の並太で縄編みにし、右先端に白い毛糸でイニシャルを入れた。私にしては相当の技術を要した秀作である。ところが、クリスマスに間に合わず、新年には編みあがったものの、様々な事情で渡すことのできないまま別れてしまう。大学に入学し一人暮らしになった際もその秀作を持って行き保管していた。冬が来てマフラーを買うお金がないという新しい恋人に「じゃあ、手編みのマフラーをあげる」と首に巻いてあげたのは良いが、前の恋人のイニシャルが入っている。結局、編み直すことになり、毛糸をほどいて巻く際には手伝って貰った。始終「K・Nって誰だよ」と怒られながら。高校時代の苦く密かな恋も毛糸とともにほどけていった。

 仲間には秘密の交際であったため、マフラーをほどいて毛糸玉にしてしまえば、もう何の痕跡も残らない。同じ毛糸でもデザインを変えればまた違うマフラーに仕上がる。女性の恋はいつも上書きである。新しい恋人もまた、秘密の交際であった。毛糸だけが、私の指先に込めた想いを知っているのだ。

  毛糸玉秘密を芯に巻かれけり   小澤克己

 昭和から平成にかけて俳壇を彩った若き男達の中に3人のカツミ(克己・克巳)がいる。その一人が小澤克己氏である。1949年(昭和24年)生まれで少年期に俳句を始め詩情の高い句を残した。〈嬰生まるはるか銀河の端蹴つて 小澤克己〉〈胸焦がすほどの詩欲し実むらさき 小澤克己〉など。20代半ばより頭角を現し、43歳にして主宰誌「遠嶺」を持つも、2010年(平成22年)61歳にして才能を惜しまれつつ死去。その天才的カツミの以前には、辻田克巳氏がいる。1931年(昭和6年)生まれで26歳の頃より山口誓子秋元不死男に師事し俳壇に登場する。58歳にして「幡」を創刊。2022年(令和4年)91歳死去。多くの有力俳人を育てた。その辻田克巳氏より一回り下の世代となる行方克巳氏は、1944年(昭和19年)生まれで16歳から俳句を始め、大学時代に慶應義塾大学俳句研究会に所属し、清崎敏郎に師事。教員を勤めながらも虹色に染めた髪型が印象的で若いファンを得ることとなる。52歳の時に同門の西村和子氏と「知音」を創刊。現在79歳で、まだまだ現役俳人である。

 私が俳句総合誌を購入し始めた平成13年の頃は、上記の3人のカツミが毎月入れ替わりで表紙に名前を連ねていた。初心者の私が混乱したのは言うまでもない。句柄の違いなども認識できない頃である。20代の私にとっては、遥か年上のダンディーな偉い先生方の凄い句として拝見していた。人の名前を覚えるのが苦手な私は、見分けは付かないものの俳壇には3人のカツミが存在するということだけが頭に残った。当時の若手句会で「今月の雑誌に掲載されていたカツミ先生の句に感動しました」と言うと、すぐに「どちらのカツミさんのこと?」と突っ込みが入ってしまう。いい加減な性格の私は「カツミスリーの誰かよ」と言って皆を笑わせた。今にして思えば大変無礼な話である。

 きちんと俳句を学ぶようになって、カツミスリーが全く異なる表現力と風貌を持ち、混乱しようがないことに気が付いた。無知とは恥ずかしい限りである。カツミスリーに共通点があるとしたら、良い男であることと恋の句を残しているということだ。

 若くして俳句を始め、天才と言われた小澤克己氏は、女性からモテたのではないかと推測している。昭和から平成の俳壇は、女流俳人が大胆な恋の句や繊細な台所俳句、そして独特の死生観を詠み、俳句表現を高い詩情まで誘導した。俳句交流の空間では、沢山の恋が生まれては消えた。秘密の恋の相手が俳人であったのかどうかは分からないが、もし俳人であったとしたら、それは秘密にしておかなければならない。

 俳句は、座の文学である以上、仲間を大切にする。個人的な色恋沙汰で句会の雰囲気を壊したくはない。それ以上に恋は秘密のうちが楽しい。仲間には内緒で交際しているという優越感。言いたいけれども言わない内なる刺激。交際を匂わせつつも冷やかされると否定してしまう照れくささ。別の異性から言い寄られて相談に乗ってしまう背徳感。俳人の恋は秘めてこそ詩情が生まれるのだ。

 掲句は、作者の恋ではなく少女の編む毛糸玉に秘密を垣間見た句とも解釈できる。恋の句と理解されるのは〈秘密〉という言葉があるからだ。〈毛糸〉もまた恋の匂いを孕む季語である。作者がどのような恋をしたのかは、知る由もない。ただ、毛糸玉に宇宙を感じていたことだけは伝わってくる。女性の恋の秘密とそこから何かを生み出す神秘のようなもの。隠しておきたい恋人と積み重ねた歳月など。色鮮やかな毛糸が恋の核心をそして宇宙を覆っているのだ。

篠崎央子

【緊急告知!!ハイクノミカタ【愛の月曜日】がスピンオフ句会として、谷中のスナックに登場!

央子さんからのコメント☞「日暮里駅西口より徒歩2分。彫塑館近くの初音小路より入ります。当日は、私がママとしてカウンターに立って句会を仕切ります。お料理も出すわよ~。お楽しみに!!」


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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