純愛や十字十字の冬木立
対馬康子
(『愛国』)
私の実家は、江戸時代からの寺請制度により真言宗の檀家であり、近所の八坂神社の氏子でもあった。神棚には御札が祀られ、毎朝水を供え祈った。庭には氏神様と呼ばれる祠があり、こちらも供え物を欠かせない。家の前にある弁天様の管理も任されており、泉が枯れないようこまめに掃除をしていた。真言宗の保育園では、厳しい指導があったがよく覚えてはいない。呪文のような経の響きだけが胸に残った。
父の会社の同僚で、よく夕食を共にした男性は、クリスチャンだった。私たちが拍手を打ち、手を合わせて「いただきます」と言う隣で十字を切っていた。教会のクリスマスパーティーの時に絵本をくれた優しいおじさん。会社の人間関係で悩んだ末に退職し、疎遠となった。父が言うには、飲み会で下ネタを批判して以来、浮いてしまったとのこと。不器用だけれども不思議な雰囲気の人であった。
中学生の時に東京から転校してきた少女は、胸に十字架のネックレスをさげていた。赤い体操服にもきらりと光る十字架は少女の美しい顔立ちによく映えた。日曜日に近所の美術展に誘ったら礼拝があるからと断られたことがある。礼拝に少し興味を持ったが、行ってはいけない気がした。やがて少女は恋をして、冬木立の公園を男の子と手を繋いで歩くようになった。別々の高校に進学した私たちは、月に一度、お気に入りの喫茶店で語り合った。私の話は恋のことばかり。初体験のタイミングについて相談したら大いに驚かれた。恋人とは将来を誓い合っているが、部屋で二人きりになってもキス以上はしないらしい。当時、どきどきしながら読んでいた『伊勢物語』や『源氏物語』の夜這いの話もドン引きされてしまう。村上春樹の『ノルウェイの森』に至っては、読んだことさえも話せなかった。そんな私もまた、高校時代の恋人とはキスもしなかった。
私にとってクリスチャンとは、とても純粋なイメージがある。大学時代に恋愛相談に乗った男子は「結婚するまでは絜いままでいる」と言っていた。また、結婚適齢期に知り合った男性は、芸能人の不倫や離婚の報道にひどく腹を立てていた。俗っぽい恋が好きな私とは、違う考え方を持っているクリスチャンは新鮮であった。かと言って、クリスチャンだから下世話なことが通じないというのは、どうやら私の思い込みのようだ。宗派やその方の性格にもよるということを知ったのはつい最近のことである。
純愛や十字十字の冬木立 対馬康子
作者は、香川県高松市生まれ。少女時代より詩に興味を持ち、大学では国文学を専攻。文芸部での活動中に、俳人で夫となる西村我尼吾氏と出逢う。在学中に中島斌雄教授の主宰する「麦」に入会。37歳の時に東大俳句会に所属していた縁により有馬朗人主宰の「天為」創刊に参加。現在「麦」会長、「天為」最高顧問。
20代後半より、夫の西村我尼吾氏の留学に伴いアメリカにて海外生活を送る。掲句は、キリスト教文化に触れる生活のなかで生まれた句と推測される。学生時代に知り合った夫とも純愛の時代が長かったのだろう。葉を落としきった冬木立に十字架を感じ、木々の祈りの静けさを純愛と捉えたのだ。何も飾らない冬木は、化粧を知らない少女の純潔を思わせる。
〈いくたびも十字架を重ね毛糸編む 康子〉。男性に贈るために編む毛糸。編み棒の重なりに十字架を発見し、祈りを込める。この恋が成就しますようにと。ひたすらに相手のことを想い祈る作業は、純愛でしか為せない。
一方で〈恋人も枯木も抱いて揺さぶりぬ 康子〉という激しい句もある。枯れたように沈黙する裸木に抱きつき、答えを求める作者。恋人を揺さぶって愛を問い質しているかのようだ。枯木の宿している生命力に縋りつくような行為は、崇拝というよりは人間的な甘えである。神なるものは縋るものではない。祈りとともに寄り添い合う存在だ。恋人という生身の人間だからこそ、抱いて揺さぶれるのである。
純愛とは、魂の結びつきであり、肉体的な関係を持たないものと思われている。『広辞苑』によれば「純粋な愛。ひたすらな愛情。」とのこと。肉体的な関係があっても純愛は成り立つ。性欲を満たすだけの関係や政治的な利害関係のある結びつきは、不純ということになる。心が純粋であれば純愛なのだ。夫婦としての生活が長くなると純愛に戻ることがある。
とある寺の一人娘のハスミさんは、仏教系大学の宗学科に在籍していた。女性のため、僧侶の資格を取得しても家は継げない。「お婿さんを探すために入学したの」と言っていた。ふわりとした雰囲気の彼女が恋をした相手は経営学科の御曹司であった。長男として家業を継ぐ将来が決まっていた。学生同士の恋人らしく映画を観たり、遊園地に行ったり、交際は順調そうに見えた。しかし、交際半年後のバレンタインデーの日に別れてしまう。大学は、長い春休みに突入していた。別れた理由は、結婚できないから。二人で家庭を築くという未来を想定できない恋は苦しいだけだったとのこと。「先のことなど分からないのだから、好きなら一緒に居ればいいのに」と言ったが「そんなのは虚無でしかない」との答え。寺を継げる男性としか恋をしてはいけないという考え方は不純なのだが、結婚できない男性とは付き合えないという考えは純愛のように思えた。相手の将来を想っての別れ、刹那的な恋情に走らない高潔さ。この時代に出逢って、家の重みを背負う男女の決意を尊敬せずにはいられなかった。大学の森の木々は、寒風に曝され芽吹きが遅い。いつか芽吹くと分かっているからこそ、冬木立は美しい。あの二人は、現世では叶わない恋の未来を木々の根に封じ込め、永遠と為したのだ。これもまた純愛のひとつの形なのだと思った。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数 辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓
>>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子
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>>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
>>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな 大木孝子
>>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま 日野草城
>>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
>>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー 古賀まり子
>>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ 河野多希女
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>>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空 黛まどか
>>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋 西東三鬼
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>>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈 尾崎放哉
>>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人 なつはづき
>>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇 新海あぐり
>>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な 遠山陽子
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