謝肉祭の仮面の奥にひすいの眼
石原八束
どうもこの時期になると首周りが気になる。寒いからではない。また、近くに大きな鋏を持った女性がいないか、辺りを見渡してしまう。これは、怖い話やホラー映画の話ではない。この時期に実際に起こる話である。ただ、女性の目当ては、筆者の首では無く、「ネクタイ」である。既に察しがつく方、また同じ経験をした方もいるだろう。そう、この時期、ドイツでは、「ネクタイ狩り」が行われる。こ れ は 、ド イ ツのKarneval(カーニバル・ 謝肉祭)における風習の 1 つ で、Weiberfastnacht( 女性のため の カーニバル)と呼ばれるもの。Weiberfastnachtは、男 性 に 比 べ て権力がない女性が、男性の権力の象徴と される「ネクタイ」をはさみで切ることで、 一日だけ主導権を握るという意味合いで 発展してきたものである。今日のドイツ社 会では、既に男女平等が進んでいるが、長く愛されてきたこの風習は、いまだに根強く残っている。
謝肉祭の仮面の奥にひすいの眼 石原八束
謝肉祭(カーニバル)とは、カトリックの国々で、肉食を許されている期間に行われる祭りのことである。世界三大カーニバルは、かの有名な「リオのカーニバル(23年2月17日~25日)」、「ヴェネチアのカーニバル(23年2月4日~21日)」、「トリニダード・カーニバル(23年2月20日~21日)」である。掲句は、八束が、カーニバルに参加している演者の仮面の奥に翡翠の眼を見つけたのである。翡翠の眼から想像するに欧州系ではないかと推察するが、八束がどのカーニバルを見て詠んだ句なのかは定かではない。ただ、八束の経歴を見ると、後期作品ではないかと推測する。
石原八束(1919年11月20日~1998年7月16日)は、山梨県生まれ、幼少の頃より病弱で、従来の花鳥諷詠に飽きたらず、季語という自然の窓を通して人間の内面を見つめる「内観造型」の方法論を主張。その後、句風は文化や人間の運命と向き合いながら、暗喩や象徴の手法を活用して詩的宇宙を構成する方向をたどる。最晩年には中国やエジプトへの旅を重ね、「仮幻の宇宙」を追求した。この旅の前後でカーニバルに遭遇し、翡翠の眼を見たのではないだろうか。
さて、話を冒頭の「ネクタイ狩り」に戻すと、筆者は、ドイツ・ミュンヘンに住んでいた5年間、毎年これを経験した。1年目は、この風習を知らずに、新品のネクタイが女性社員の餌食となった(狩られたネクタイは会社の掲示板に張り付けにされた)。2年目は、ネクタイをせずに出社したが、女性社員たちの楽しみを奪ったような罪悪感を感じた。3年目以降は、古くなったネクタイを差し出し、新しいネクタイを購入する機会とした。この風習のお陰で古いネクタイを毎年処分できたが、今、ここ日本では、この風習も無ければ、ネクタイをする機会も減っている。押入れの中には色褪せたネクタイどももカーニバルを待っている。
(塚本武州)
【執筆者プロフィール】
塚本武州(つかもと・ぶしゅう)
1969 年、立川市生まれ。書道家の父親が俳号「武州」を命名。茶道家の母親の影響で俳句を始める。2000年〜2006年までイギリス、フランス、2011年〜2020年までドイツ、シンガポール、台湾に駐在。帰国後、本格的に俳句を習い、2021年4月号より俳誌『ホトトギス』へ出句。現在、社会人学生として、京都芸術大学通信教育部文芸コース及び博物館学芸員課程を履修中。神戸市在住。妻と白猫(ユキ)の3人暮らし。
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