デモすすむ恋人たちは落葉に佇ち
宮坂静生
(『全景宮坂静生』)
60年程前、安保闘争というものがあった。日米新安全保障条約を巡り若き労働者や学生達が条約の締結を反対する大規模なデモ運動を起こした。その火種は学生運動へと発展し過激化していった。1960年代から1970年代にかけて、若い力が政治を変えようとした政治の季節である。戦後の高度成長期に、若者達は革命を起こそうとして街角で演説しビラを撒き、デモ行進を行い、国家との武力衝突も辞さなかった。全国の学生達が、熱く闘ったのである。
私が生まれた時には、すでに伝説の時代であった。近所の大学の壁に残された政治批判の文字や集会禁止の看板などから、その激しさの痕跡を知るのみであった。年号が平成に変わった時、昭和史を振り返る画像であさま山荘事件という言葉を知った。鉄球が建物を破壊するシーンのみが鮮明に心に残った。大学時代に立松和平の小説『光の雨』を読み、学生運動に興味を持った。
あの頃の私は、恋ばかりしていて明日を楽しく生きることしか考えていなかった。革命を信じて闘う学生の姿が遠い世界の眩しいものに感じられた。羨望と憧れと興味から、学生運動について調べ始めた。そういえば、予備校の先生が言っていた。「家族の期待を背負い東大に入学したのに、学生時代はヘルメットを被りゲバ棒を振り回していたんだ。それがあまりにも楽しくて、気が付いたら学業もおろそかのまま退学してたんだよね。そんなわけで、東大中退の予備校教師です」と。ヘルメットとかゲバ棒とか何のことだかさっぱり分からなかった。『光の雨』は、私の疑問を解決してくれた小説である。学生運動のことから始まり、連合赤軍による山岳ベースでのリンチ殺人事件、そしてあさま山荘事件への一連のことが、脚色も含め分かりやすく興味深く描かれている。
学生運動における女性戦士は、男性達にとって都合の良い裏方の一面もあるが、思想を同じくして闘う同志でもあった。女性は勧誘能力に優れているため、同志を増やす役割も担った。若い男女が出逢えば当然のことながら、恋に落ちる。恋が闘争心に火を点け、闘争が恋を激しくした。若者達は命がけで恋をして闘ったのだ。
一方で、恋人のために闘いから脱落する者もいる。恋にはお金が必要なため、平穏な家庭を夢みてしまったため、運動を諦めて就職する者も多かった。女性も、恋人から運動を非難されれば離脱してゆく。恋とは諸刃の剣である。
高野悦子の『二十歳の原点』は、学生運動と恋の間で揺れ、自己の確立に悩み自死した女性の日記である。自分が何をしたいのか分からず流されるままに運動に参加したものの、疑問を感じるようになる。生活のためのアルバイトもまた、運動の理念に反しているように思い始めた。想いを寄せていた男性と関係を持つも相手には恋人がおり、別れる気配もない。さらには、運動を否定されてしまう。運動をやめたところで恋は実らない。だからと言って運動に没頭することもできない。気が付けば、孤立していた。
運動か恋か、どちらの選択肢が幸せなのだろうか。恋よりも運動、あるいは恋も運動に利用できる確固たる自我を持った女性のみが、革命戦士になれる。恋を選べば脱落者となり、思想の浅はかさを非難される。その時代に生きていたら私は、どちらを選ぶのだろうか。
デモすすむ恋人たちは落葉に佇ち 宮坂静生
作者は長野県の信州大学出身である。卒業間近の頃より安保闘争が起こる。高校教諭時代には、母校の信州大学で激しい紛争が繰り広げられた。その信州大学の教授となった頃には、運動は下火となっていたが、まだ騒めいていた。
14歳から俳句を始め、大学時代は「若葉」誌に投句し、頭角を現す。25歳で「龍膽」誌の編集長。31歳の時に藤田湘子に出会い「鷹」に入会。その10年後、長野県にて「岳」を創刊。地元に深く根ざし、俳句を広めた。現在、長野県の俳人の多くは「岳」に所属している。信州だけでなく全国各地の風習や風土から生まれた季節のことば「地貌季語」の提唱者でもある。「ことばには貌がある。そのことばには、土地の貌が映し出されている」とのこと。茨城県つくば市出身で風土詠を志していた私にとっても、興味深い提唱であった。
掲句は、学生運動が下火となった頃の句と推測される。恋人たちは、デモ行進を落葉の降る木々の合間から冷静に眺めていると解釈すべきであろう。運動より恋を選んだのだ。その視線は、文学を選んだ作者の眼差しにも通じてゆく。政治の季節には、文学の世界もまた様々な運動が蠢いていた。若い文学者の間では日夜激しい議論が交わされていた。デモの列に参加する若者達にかつての自分を重ねつつも「まだ、闘っているのか」という心の声が聞こえてくるような句だ。
〈恋人たち〉が運動を外れる際には、きっと物凄い葛藤があったのだろう。運動への情熱は、恋に似ていて冷めてしまえば「そんなこともあったかね」で終わる。未練という微かな痛みを残しつつ。時代が過ぎ去れば、「あれは青春だった」とも言えるのだろう。
会社の友人が、追っかけをしているバンドのライブチケットをくれたことがあった。「20枚ほど買ってしまったので、無料で良いから来て欲しい」と言う。興味のないライブだが、身銭を切ってチケットを配る友人の熱意にほだされて行くことになった。ライブ会場では、友人は最前列で忙しくしていたため、私は一人、中ほどの席に座った。前後の席は、ファンの若い女性たちが次回のライブの打ち合わせをしている。何という場違いな場所に来てしまったのかと後悔したのだが、右隣の女性もまたそんな顔をしていた。ライブが始まるまで少し話をすることができた。「私は、学生時代にこのバンドの熱狂的な追っかけをしていたの。チケットは、毎回30枚ぐらい買って配ったかしら。借金とか当たり前よね。野外ライブでは炊き出しもしたし、地方ライブの時は夜行バスに乗って駆けつけた。夫とは、ライブの打ち上げで知り合ったの。でも、ちょっと温度差みたいなのがあって、振られそうになったから、追っかけを脱落しちゃった。今日は、結婚記念日だから来たの」。彼女の隣の席には席取りのための荷物が置いてあった。ライブの最初の曲の途中で噂の夫が到着。二曲目になると前後のファンの方が「手拍子と掛け声よろしく」などと言うから私も一緒になってライブを盛り上げることになった。ふと見ると、隣の元追っかけ夫婦は冷めた目でライブを眺めていた。アンコールの最後の曲が終わる頃には、もういなかった。気が付くと前後のファンの方々に囲まれている。「良かったでしょ。楽しかったでしょ。打ち上げに来るわよね」と強引な渦に巻き込まれそうになった。原稿の締切がなければそのまま打ち上げに参加していただろう。ライブ会場を出て木枯しの吹く夜の公園を一人歩いた。落葉がかさかさと火照った体を冷やしてゆく。街灯の下のベンチに、先ほどの夫婦がいた。笑いながらハンバーガーを齧っていた。素敵な結婚記念日だなと思った。
学生時代に好きだったバンドのライブを一緒に聴き、学生の頃のように公園でハンバーガーを齧り、想い出を語り合う。もう、身を削って追っかけをすることもない幸せな時間。純粋に音楽を共有できる二人だけの時間。その時間は、追っかけをしていたからこそ得られたのだ。あのバンドはきっと、いくつものカップルを生み出したのだろう。
デモ行進は、現在でも盛んに行われている。主張を同じくする若者が集い、集った者達は、熱く語り仲間を増やしてゆく。正直、その渦のなかに入ってみたいと思う。だけれども、夫が大事、俳句が大事な私は、傍観者としてデモ行進を眺めている。降り注ぐ落葉に青春の余熱を感じながら。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て 澁谷道
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>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
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>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓
>>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子
>>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
>>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな 大木孝子
>>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま 日野草城
>>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
>>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー 古賀まり子
>>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ 河野多希女
>>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり 柿本多映
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>>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人 なつはづき
>>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇 新海あぐり
>>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な 遠山陽子
>>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰 文挾夫佐恵
>>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市 久保田万太郎
>>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか 竹岡一郎
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