巡査つと来てラムネ瓶さかしまに
高濱虚子
(改造社『俳諧歳時記 夏』)
「巡査」「ラムネ」という近代以後の文明の所産を、「つと」「さかしま」という古語寄りの副詞と形容詞で表現したことで、巡査がラムネを飲み干す姿が妙に情趣を生みだしていて、横溝正史作品の映画の風景にありそうな、いかにも昭和の、暑い夏のとある午後の風景という感じがする。ところで、掲句を見出した昭和八年刊の『俳諧歳時記 夏』では、句の引用元が「ホトヽギス」となっているが、何巻何号なのかは不明。角川『図説俳句大歳時記 夏』と『角川俳句大歳時記 夏』旧版にも掲載があって、引用元は『虚子全集』となっている。おそらく後者は前者の孫引きだろう。もっとも新しい全集である毎日新聞社刊の『定本高濱虚子全集』は『図説大歳時記』より後の刊行なので、この『虚子全集』には当たらない。また、毎日新聞社版の全集の句を集めて編纂された『虚子全句集上下』の巻末にある初句索引ではこの句を見出せなかったので、筆者の見落としでなければ同全集に掲句は載っていないのかもしれない。他に虚子全集は、戦前の改造社の『高浜虚子全集』と戦後の創元社『定本虚子全集』の二種類があって、ありがたいことに今やどちらも国会図書館のデジタルデータをインターネットで利用が可能。そこで調べてみると、両方とも昭和六年の作として掲載されていて、後者は作句月(七月)までわかる。虚子は『句日記』を「ホトトギス」に連載しているから、昭和六年七月の記事が出ている昭和七年七月号を確認すると、「七月二十四日。鎌倉俳句会。鶴ヶ丘八幡社前。蓮池。」と前書がある三句中の二句目とわかった。一句目は「土産店扇広げて吊しあり」、三句目は「西方に傾く蓮の蕾かな」。つまり掲句は、昭和六年七月二十四日の鶴岡八幡宮の池の畔にあった売店でラムネを飲んでいた巡査の風景ということになるのだろう。そしてこれは確かに、昭和の風景だった。
改めてこうしてみると、虚子の句は「ホトトギス」での発表から一年で歳時記に載ったことがわかる。手元の虚子編『改訂版新歳時記』(初版昭和九年、改訂は昭和十五年)にも七月で掲載されていて、確認すると電子辞書に入っている『ホトトギス俳句季題便覧』の七月にラムネが立項され掲句の掲載があるから、さすが「ホトトギス」は虚子以来一貫しているというべきだろうか。ちなみに、昨年刊行の『新版角川俳句大歳時記 夏』の例句からは除外されてしまっていた。
(橋本直)
【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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>>〔106〕古池や芭蕉飛こむ水の音 仙厓
>>〔105〕秋海棠西瓜の色に咲にけり 松尾芭蕉
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>>〔101〕茄子もぐ手また夕闇に現れし 吉岡禅寺洞
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>>〔98〕なんぼでも御代りしよし敗戦日 堀本裕樹
>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣 藤井あかり
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>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき 森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か 楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼 橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな 高濱虚子
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>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな 秦夕美
>>〔67〕澤龜の萬歳見せう御國ぶり 正岡子規
>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜 大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響 芝不器男
>>〔64〕戸隠の山より風邪の神の来る 今井杏太郎
>>〔63〕天籟を猫と聞き居る夜半の冬 佐藤春夫
>>〔62〕暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり 鈴木六林男
>>〔61〕ラーメン舌に熱し僕がこんなところに 林田紀音夫
>>〔60〕冬真昼わが影不意に生れたり 桂信子
>>〔59〕雛飾る手の数珠しばしはづしおき 瀬戸内寂聴
>>〔58〕枯芦の沈む沈むと喚びをり 柿本多映
>>〔57〕みかんいろのみかんらしくうずもれている 岡田幸生
>>〔56〕あきかぜの疾渡る空を仰ぎけり 久保田万太郎
>>〔55〕自動車も水のひとつや秋の暮 攝津幸彦
>>〔54〕みちのくに生まれて老いて萩を愛づ 佐藤鬼房
>>〔53〕言葉がわからないので笑うてわかれる露草咲いてゐる 種田山頭火
>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌 中村草田男
>>〔51〕胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋 鷹羽狩行
>>〔50〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る 井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる 星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に 篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり 大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり 大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理 星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり 中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く 小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰 井本農一
>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ 堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん 村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり 会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌 秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱 広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す 石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず 飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春 三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑 橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ 田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは 大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき 小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな 正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴 星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る 篠原梵
>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな 夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿 前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる 阿部青鞋
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下 寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子 百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣 高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな 飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり 夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く 西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす 山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ 村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり 林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな 横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく 山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ 中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し 塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな 高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ 竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ 長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風 正岡子規
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】