樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ日野草城【季語＝梅雨入（夏）】

ハイクノミカタ

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ　日野草城【季語＝梅雨入（夏）】

2024/6/15
ハイクノミカタ, 吉田林檎
1901年生まれ, 1956年没, 「青玄」, しずか, にて, ぬ, はじまる, も, 夏の季語, 日野草城, 梅雨, 梅雨入, 樹, 草

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ

日野草城

何かを無性に抱きしめたくなって抱き枕を購入したことがある。「こうしたい！」がそこまで膨らんだことはなかったので自分でも不思議な気持ちで買いに行ったのだが、その時わが胎内には子が宿っていたことを後から知った。同じような気持ちでぬいぐるみを買った友人の話を聞いたおかげでその時の抱き枕に思いが到ったのである。程なくして怒濤のような子育ての日々が始まるのだが、命の始まりとは静かにして強いものだ。

今日の句は梅雨のはじまりの静けさを詠んだものだが、子育てそのものは梅雨というよりはむしろ盛夏である。それでもやはり始まりに関しては静かなものだ。胎動を感じるのは授かって数ヶ月あとのこと。ドラマのように、吐き気を催して洗面所に…という時点では本人はわかっているのである。もしかして、が本当になる静けさは梅雨入りのようにしっとりしている。

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ

静かな雨。梅雨入りはある日突然大雨が降り始めるわけではなく、「あれが梅雨入りだったのか」というようなゆるゆるしたものである。気象庁による発表も「梅雨入りしたとみられる」という断言を避けた言い方をとっており、実際の天候の経過を考慮して発表済みの期日が変更になることもある。実生活においては梅雨入りしたかどうかを気にしているのは天気が職業に大きく関係する人か俳人が主たるもので、どちらかといえば「梅雨はじまったね」と自分の感覚で梅雨入りを語る人が多い。そんな時「まだ気象庁からの発表がないから！」などと騒いでも面白い展開にはならないので黙っておく。そして発表が出た時に「梅雨入り宣言出たね！」と喜ぶことにしている。

掲句、梅雨のはじまりの雨の様子を描いているが、「樹も草も」と範囲を広くとっていることからある種の真実を述べるような味わいとなっている。梅雨という日本人にとって大きな事象が音も立てずに始まるという違和感。大きすぎるものこそ静かに始まるものなのかもしれない。そう考えると「しづかにて」も草木が天の意思にひれ伏している描写に思えてくるのである。

嵐の前の静けさという言葉を使うのはどのタイミングが適切なのだろう。回想として語る際や、三人称の小説にこそ似つかわしい表現だ。嵐の前は気象現象として実際静かになるものだが、梅雨が始まる際の静けさとは違う。嵐の前の静けさでは、嵐がまだ来ていない。梅雨の始まりの静けさはすでになんとなく梅雨が始まっている。大きな違いだ。しかし梅雨が終る時には雷が鳴る。梅雨は静かに始まって急に終るのだ。ということで今週の連載はここまで！

　『旦暮』（1949年刊）所収。

（吉田林檎）

【執筆者プロフィール】
吉田林檎（よしだ・りんご）
昭和46年（1971）東京生まれ。平成20年（2008）に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年（2010）「知音」入会。平成25年（2013）「知音」同人、平成27年（2015）第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年（2016）第5回青炎賞（「知音」新人賞）を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』（ふらんす堂、2019年）。

【吉田林檎さんの句集『スカラ座』（ふらんす堂、2019年）はこちら ↓】