忽然と昭和をはりぬ夕霧忌 森竹須美子【季語=夕霧忌(冬)】


忽然と昭和をはりぬ夕霧忌

森竹須美子
(『角川大歳時記』)

 昭和は、1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇の崩御により終わった。その数か月前より、入院後の病状の詳細が毎日のように報道されていた。死因は、十二指腸がん。享年87歳。同日、新元号が発表される。テレビに映された、色紙の二文字「平成」が今も記憶に残る。

 昭和天皇の崩御と平成の元号発表の場面は、数々のドラマで描かれている。2017年より連載開始の漫画『テセウスの船』(原作:東元俊哉)では、平成元年生まれの主人公が生まれる半年前の1月7日にタイムスリップし、無差別毒殺事件の容疑者となる父親を救うため、事件に立ち向かう。2020年にドラマ化された時には、令和になっていたこともあり、懐かしく平成元年を振り返る機会となった。

 昭和が終わったあの日、私は中学生だった。冬休みが終わり、3学期に突入した日だ。初恋の少年とは、廊下ですれ違ったものの無視されてしまう。図書委員であった私は、昼休みに図書館の受付をしながら本を読んでいた。どうせ誰も本など借りに来ない。一緒に図書委員を務めるクラスメイトの男の子もまた無言のまま本を読んでいる。田中芳樹のSF小説『銀河英雄伝説』だった。「あの、田中芳樹が好きなの」「うん。確か君も読んでたよね」。クラスではいつも寡黙な男の子と急に話が盛り上がる。そこに初恋の少年が本を返しにやってきた。男の子の方に声を掛ける。「こんな奴と図書委員なんて不幸だね。何の話ししてたの」「あ、いや別に」。初恋の少年の返した本は、私が読みたかった星新一のSF短編集だ。「この本、あなたが借りてたのね」。少年は目を合わそうとはしなかった。数秒の無音の刻を破ったのは、担任の先生の声である。窓越しに「昭和天皇が崩御されたため、早退になります。早く片付けて、教室に戻って」と叫んでいた。直後に校内放送が流れた。スマホなどがなかった時代のことだ。情報はテレビや新聞。午前6時33分の崩御が報道されたのは8時頃。職員室にテレビはあったが始業式などの準備で見ていなかったのだろう。昼休みに平成の元号報道と共に知ったのだ。初恋の少年は、すぐに退散。図書館の受付をしていた私と男の子は、本を戻したり施錠したりで戸惑ってしまう。教室に戻るとみな帰るところであった。日誌を書き終えた頃には、二人きりになっていた。男の子が「アルスラーン戦記は、どこまで読んだ」と問いかけてきた。「まだ1巻だけ」「2巻からが面白いのに。また今度ゆっくり話そう」。その日から、好きな人が図書委員の男の子に変わった。数日後、初恋の少年は、慌ただしく転校してしまった。私の心には、昭和という時代の喪失感と平成という新しい時代への期待が交差した。

 図書委員の男の子とは、本の話ばかりしていて、何の進展もないまま終わってしまうのだが。平成2年、受験を控えた真冬の夜に公園で語り合ったことは、今でも忘れない。高校に入学した後、ひと目逢いたくて男の子の通う校門の前で待っていたことも。告白する勇気がないまま消えた平成最初の恋だ。そして、私が彼のことを好きだったことは、誰も知らない。

  忽然と昭和をはりぬ夕霧忌 森竹須美子

(『角川大歳時記』)

 江戸時代の名妓夕霧太夫の忌日は、陰暦の1月6日である。歳時記には、新年の季語として収められている。夕霧太夫は、大阪の新町始まって以来の売れっ子だったのだが、26歳の若さで死去。江戸時代の遊女は、25歳を過ぎると中年増とされ、その前に身請け先を探す。遊女が、身請けをためらう理由の一つに、好きな男がいる。

 吉野太夫・高尾太夫とともに三名妓のひとりといわれる夕霧太夫は、近松門左衛門の浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』で知られている。藤屋伊左衛門という大阪の大店の若旦那と恋仲にあったのだが、伊左衛門は、廓通いを咎められ勘当されてしまう。文無しになった伊左衛門は、寒風をさ迷った果てに、うらぶれた姿で夕霧に逢いにゆく。人気者の夕霧は、病を患っていたものの年の瀬の客の座敷に呼ばれていた。何とか時間を作り対面する二人だが、結ばれることのない恋に涙するばかり。そこに、伊左衛門の家より夕霧を身請けしてやるので戻って来いとの報せが入る。二人は喜びのまま新年を迎える。6日後に夕霧は、病死してしまう。

 掲句は、1月6日の夕霧忌とその翌日となる昭和の終焉を取り合わせている。夕霧の悲劇的な急死と昭和への想いを重ね合わせているのだ。恋とともに時代は移り変わる。恋の文学とは、歴史の証言でもある。江戸時代には江戸時代の恋があり、昭和もまた戦争を経て回想すべき恋がある。〈ままならぬ恋もありけり夕霧忌 角川春樹〉。どの時代にもままならぬ恋はある。時代と同じように恋もまた忽然と終る。

 64年にわたる昭和の時代は、みな心のどこかで永遠を感じていた。ずっと続くものだと。日々伝えられる天皇陛下の病状の報道を見ていても、必ず復活されると信じていた。恋もまた、純粋であればあるほど永遠を信じてしまう。時代、そして恋の永遠に疑問を感じた少女の頃の傷は、私に深い根をおろした。

 いつの頃からか「この人は、永遠に側にはいてくれない」との想いで交際するようになった。それでも20歳の頃は、全力疾走。追いかけすぎて嫌われてしまった。一方的な気持ちを押し付けたことを後悔し、次の恋では、常に相手の状況を考慮して接した。「自分では悲劇のヒロインとか、奥ゆかしいとか酔ってるんだろうけど、不愉快だ」と言われた。「私が本気でぶつかっていったら、絶対に受け止めてはくれないでしょ」とは、言えなかった。そう思った時点で恋は終わっていたのだ。試行錯誤の平成の恋の歴史だ。

 時代にも恋にも永遠がないことを知ったのは、昭和の終わりだが、平成の世でも、永遠を信じては裏切られた。だから、永遠は信じない。その代わり、永遠ではないからこそ、今できる精一杯のことをしようと考えた。永遠でない恋を永遠にするために、時には正直に、時には感情を殺して。忽然と終るような恋はもうしない。

篠崎央子

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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
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>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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