東京の空の明るき星祭 森瑞穂【季語=星祭(秋)】


東京の空の明るき星祭

森瑞穂

瑞牆山に登った。木の根を掴み、鎖で巨岩を乗り越える。数えるほどしか登山をしたことがないのにこんな激しい道のりを行くことになるとは!想定を2時間ほどオーバーして登頂した。山頂では景色の美しさと登りきった達成感が相まって思考停止状態。それもまた満足の形だ。

翌日はしっかりと筋肉痛。体力と身体の劣化を痛感し、翌日の夜別の山のハイキングコースを歩いた。ヘッドライトを着用し、プロテインドリンクを手に真っ暗な道を歩く。最初は怖かったが、東京近郊にこんな暗闇があることにむしろ安心した。そこから仰ぐ空は一面が天の川に覆われているような明るさだった。

曇りの日の東京の夜空は地上の明かりを反射するのか殊に明るい。雲も居心地が悪そうだなぁ、と嘆じつつ木の間から見える夜景の明るさに心は浮きたった。

明るすぎる人に出会うと不安になることがある。光が強いほど影が濃いからだ。私の母がそうだった。いつもケラケラと笑い、底抜けに明るかった母の前半生は壮絶だった。子どもの頃に聞かされたその話は母が他界してからやっと形として認識できた。

東京の空の明るき星祭

星祭は「七夕」の傍題で秋の季語。柔らかく言うと、七夕祭りである。こんなに明るくては織姫と彦星も逢瀬をゆっくり過ごすことが出来ないだろう。しかし、地上の人間たちは賑やかに七夕祭りに浮かれ、その明るさをしっかりと享受しているのだ。

一般には明るいことが良く暗いことが悪いとされがちだが、掲句では「明るき」にほのかなネガティブが感じられる。星祭となれば夜空の明るさは喜ぶ理由にならない。かといって大いに嘆いているわけでもない。その客観性、絶妙な心のありようは俳人そのものだ。

作者は岐阜県出身。東京の空しか知らなかったら生れなかった句といえる。東京暮らしの身には空が明るいことにことさらの感慨を感じないからだ。「海は広いな大きいな」で始まる童謡「海」を作詞した林柳波は海のない群馬県の出身。だからこそ海を見慣れた人にはなかなか出てこない「海は広いな大きいな」という素直な感慨を詩にできたのではないだろうか。

この句からはそんなことを思ったが、〈母となりたる香水をひとしづく〉〈ドアノブのつめたさに秋来てをりぬ〉〈海遠くなればはづしてサングラス〉など句集全体を通して垢抜けた作品が眼をひいた。

明るすぎるのはかえって不安を掻き立てられる。真っ暗では何も見えない。ほどよい明るさは居心地の良さでもあるのだ。

『最終便』(2020年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】
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>>〔81〕風邪を引くいのちありしと思ふかな 後藤夜半
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>>〔78〕しかと押し朱肉あかあか冬日和 中村ひろ子(かりん)
>>〔77〕命より一日大事冬日和 正木ゆう子
>>〔76〕冬の水突つつく指を映しけり 千葉皓史
>>〔75〕花八つ手鍵かけしより夜の家 友岡子郷
>>〔74〕蓑虫の蓑脱いでゐる日曜日 涼野海音
>>〔73〕貝殻の内側光る秋思かな 山西雅子
>>〔72〕啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子
>>〔71〕天高し鞄に辞書のかたくある 越智友亮
>>〔70〕また次の薪を火が抱き星月夜 吉田哲二
>>〔69〕「十六夜ネ」といった女と別れけり 永六輔
>>〔68〕手繰るてふ言葉も旨し走り蕎麦 益岡茱萸
>>〔67〕敬老の日のどの席に座らうか 吉田松籟
>>〔66〕秋鯖や上司罵るために酔ふ 草間時彦
>>〔65〕さわやかにおのが濁りをぬけし鯉 皆吉爽雨
>>〔64〕いちじくはジャムにあなたは元カレに 塩見恵介
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>>〔62〕寝室にねむりの匂ひ稲の花  鈴木光影
>>〔61〕おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな 櫛部天思
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>>〔59〕腕まくりして女房のかき氷 柳家小三治
>>〔58〕観音か聖母か岬の南風に立ち 橋本榮治
>>〔57〕ふところに四万六千日の風  深見けん二
>>〔56〕祭笛吹くとき男佳かりける   橋本多佳子
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>>〔53〕雷をおそれぬ者はおろかなり    良寛
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>>〔50〕青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ   河野南畦
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>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
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>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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