さくら仰ぎて雨男雨女
山上樹実雄
晴れ女が証明された場に居合わせたことがある。年末の鎌倉で、底冷えの吟行だった。どこをどう歩いたのか、辿り着いたのは中国精進料理の鎌倉「凜林」。予約限定の店を幹事が抑えてくれていた。お庭を眺めつつゆったりとランチしていると、雪が降り始めた。初雪をどう詠もうか、この料理美味しい、などと盛り上がる。雪の中の吟行か…と覚悟を決めて外に出ると雪はすっかり上がっている。やがてそのまま空は晴れ渡っていった。彼女がいる吟行はピンポイントで晴れる。
雨男の仕事に遭遇したこともある。東京近郊でバーベキュー。朝から快晴だった。私は朝イチから準備をしていたが、ばらばらと遅れて来る人も珍しくはなかった。あれだけ晴れ渡っていたのに、西の方から空がみるみる雨雲に覆われていく。と思ったらその雨男が登場した。ぽつぽつと雨が降り始めるがなんとかバーベキューは継続。次の予定があるというその雨男が去ると共に空は晴れ渡っていった。
彼女のおかげで晴れたことも彼のために雨が降ったことも証明できないし全く無関係なのだと思うが、晴れ男や晴れ女、雨男や雨女にはそういう伝説のようなエピソードがついてまわる。
雪国を舞台にした有名な映像作品の演出を務めたS氏は雨男。雨男だからこそ美しい世界を紡ぎ出すことが可能だったのかもしれない。
さくら仰ぎて雨男雨女
さくらが咲いた後に雨が降るのは毎年のことなのに俳人以外の多くの人は「そんなひどいことになるなんて!」とでも言わんばかりに嘆いている。俳人も決して喜んでいるわけではないが、快晴よりも雨や曇りの方が句にしやすいという人は少なくない。
今回とりあげたのは「花の雨」という季語を絵画で表したような一句である。雨男と雨女が勢揃いして、予想通りしっかりと雨が降ったのだ。それでも花は見続ける。さくらを仰ぐ雨男雨女をこれほどあっけらかんと見ていることができるのは俳人だからこそ。花の雨を詠むという動機がなければ雨男雨女に対して根拠のない恨みを抱いてしまう恐れすらある。
「君も雨女だね」という仲間意識的な読みも可能であるが、それでは読み手の視点が定まらない。やはり桜の木と雨男と雨女が並んでいるところをひとまとめとして客観的に見る視点の方が面白い。
最後に念を押しておくと、誰かが来たために天候が左右されるということは決してないので晴れ男・晴れ女に感謝することはあっても雨男・雨女を恨むことの決してないようお願い申し上げます。
『山麗』(1986年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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【吉田林檎のバックナンバー】
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>>〔94〕あり余る有給休暇鳥の恋 広渡敬雄
>>〔93〕嚙み合はぬ鞄のチャック鳥曇 山田牧
>>〔92〕卒業歌ぴたりと止みて後は風 岩田由美
>>〔91〕鷹鳩と化して大いに恋をせよ 仙田洋子
>>〔90〕三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子
>>〔89〕順番に死ぬわけでなし春二番 山崎聰
>>〔88〕冴返るまだ粗玉の詩句抱き 上田五千石
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>>〔86〕手袋に切符一人に戻りたる 浅川芳直
>>〔85〕マフラーを巻いてやる少し絞めてやる 柴田佐知子
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>>〔83〕ラヂオさへ黙せり寒の曇り日を 日野草城
>>〔82〕数へ日の残り日二日のみとなる 右城暮石
>>〔81〕風邪を引くいのちありしと思ふかな 後藤夜半
>>〔80〕破門状書いて破れば時雨かな 詠み人知らず
>>〔79〕日記買ふよく働いて肥満して 西川火尖
>>〔78〕しかと押し朱肉あかあか冬日和 中村ひろ子(かりん)
>>〔77〕命より一日大事冬日和 正木ゆう子
>>〔76〕冬の水突つつく指を映しけり 千葉皓史
>>〔75〕花八つ手鍵かけしより夜の家 友岡子郷
>>〔74〕蓑虫の蓑脱いでゐる日曜日 涼野海音
>>〔73〕貝殻の内側光る秋思かな 山西雅子
>>〔72〕啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子
>>〔71〕天高し鞄に辞書のかたくある 越智友亮
>>〔70〕また次の薪を火が抱き星月夜 吉田哲二
>>〔69〕「十六夜ネ」といった女と別れけり 永六輔
>>〔68〕手繰るてふ言葉も旨し走り蕎麦 益岡茱萸
>>〔67〕敬老の日のどの席に座らうか 吉田松籟
>>〔66〕秋鯖や上司罵るために酔ふ 草間時彦
>>〔65〕さわやかにおのが濁りをぬけし鯉 皆吉爽雨
>>〔64〕いちじくはジャムにあなたは元カレに 塩見恵介
>>〔63〕はるかよりはるかへ蜩のひびく 夏井いつき
>>〔62〕寝室にねむりの匂ひ稲の花 鈴木光影
>>〔61〕おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな 櫛部天思
>>〔60〕水面に閉ぢ込められてゐる金魚 茅根知子
>>〔59〕腕まくりして女房のかき氷 柳家小三治
>>〔58〕観音か聖母か岬の南風に立ち 橋本榮治
>>〔57〕ふところに四万六千日の風 深見けん二
>>〔56〕祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子
>>〔55〕昼顔もパンタグラフも閉ぢにけり 伊藤麻美
>>〔54〕水中に風を起せる泉かな 小林貴子
>>〔53〕雷をおそれぬ者はおろかなり 良寛
>>〔52〕子燕のこぼれむばかりこぼれざる 小澤實
>>〔51〕紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る 津田清子
>>〔50〕青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ 河野南畦
>>〔49〕しばらくは箒目に蟻したがへり 本宮哲郎
>>〔48〕逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花 中西夕紀
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>>〔45〕鳴きし亀誰も聞いてはをらざりし 後藤比奈夫
>>〔44〕まだ固き教科書めくる桜かな 黒澤麻生子
>>〔43〕後輩のデートに出会ふ四月馬鹿 杉原祐之
>>〔42〕春の夜のエプロンをとるしぐさ哉 小沢昭一
>>〔41〕赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り 夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む 斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
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>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し 井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな 富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会 飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く 星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ 津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ 若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女 恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる 鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川 髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン 杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月 中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ 髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空 若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり 林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな 桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか 清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人
>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋 岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児 高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏 堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る 山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎 神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる 岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな 蜂谷一人
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】