雨だれを聴きて信濃の濁り酒　德田千鶴子【季語＝濁り酒（秋）】

2023.09.13
ハイクノミカタマンスリーゲスト

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雨だれを聴きて信濃の濁り酒

德田千鶴子

さて、どうも肩に力が入った文章になりがちだが、もともとの性格によるものだから、どうしようもない。この短期連載のうちに少しでもコツをつかみたいところ。「雨だれ」のように優しく読み手の心を潤す文章が理想だ。

作者は現「馬醉木」主宰。

私が「馬醉木」の門を叩いたときには主宰をつとめておられ、水原春郎先生は名誉主宰であった。主宰には若手向けの山口県における吟行でご指導をいただいてから特に深いご縁を頂いている。吟行後、二十五人の同人選と主宰の全句講評を特徴とする東京例会に欠かさず投句するようになった。

そこでの主宰選を拙句集Amazon.co.jp: 深雪晴 : 伊藤幹哲: 本の帯に自選句として入れた。また同句集に対し心温まる序文を賜った。さらには「馬醉木」の輝かしい百周年記念大会において私に司会を任せて頂くなど、畏れ多いばかりである。歴史ある結社の主宰である上に、俳人協会の理事もこなし、間違いなく多忙であるはずなのに、若手の育成にも余念がない。熱烈な広島東洋カープのファンであるのも意外な一面だ。

　さて掲句「雨だれを聴く」というと、ショパンの前奏曲第１５番「雨だれ」を思い浮かべる。YouTubeでは反田恭平の演奏（前奏曲第15番「雨だれ」 F.ショパン作曲反田恭平 – YouTube）がアップロードされている。私はマルタ・アルゲリッチの演奏をよく聴いた。左手の演奏が雨音を象徴して柔らかく全てを包みこみながら、右手の演奏の強弱が走馬燈のように様々な断想を聞き手の脳裏に浮かべては消えていく。

プルーストの『失われた時を求めて』において、紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ瞬間に、過ぎ去った日々の思い出が全身を貫くように、雨音は人の「無意志的記憶」を紡ぎ出すのではないか。小野小町には「わが身世にふるながめせしまに」という歌もあった。

俳壇でどこまで知られているかわからないが、「馬醉木」において秋櫻子が下戸であったことは有名である。だが、主宰は「濁り酒」を飲まれるくらいだ。お好きなのであろう。どぶろくを思わせる濁り酒は作り手の思い、人の温もりなどを直に感じる。私の友人が代表を務める栃木の小島酒造店かんなびの里 (資)小島酒造店　栃木県塩谷町にある小さな酒蔵 (goope.jp)でも今ちょうど瓶詰めの時期だという。

作者は祖父水原秋櫻子からも父春郎からも愛を受けて育ったほか、石田波郷を初めとする多くの同人が家に来るなど、まさに「馬醉木」のまっただ中で育った。だが結社において育つとは、裏を返せば多くの人を見送ってきた歴史でもあり、既に最愛の配偶者をも亡くされている。

そう言えば「信濃」には「馬醉木」において同人会会長をも勤めた相馬遷子が居た（秋の雨の句に「雨あがる至福に満ちて葡萄の香」がある）。また山岳俳句や高原俳句と呼ばれる俳句は、秋櫻子が積極的に「馬醉木」において切り拓いたジャンルの一つでもあった。

雨だれを聴きながら濁り酒を飲む様は、人生に清く流れるような時間も濁って先が見通せぬような時間も両方があったことを象徴しよう。そのように清濁がある中でも、人と関わりながら生きてこられたこと、その温かみが句に通底しているように思う。

主宰が聴いている雨だれの音は、どこで誰と聴いた雨とつながっているのであろうか。

（伊藤幹哲）

【執筆者プロフィール】
伊藤幹哲（いとう・まさのり）
昭和６３年宇都宮市生、同市在住。「馬醉木」同人。第１２回北斗賞、俳人協会第５回新鋭俳句賞・第７回新鋭評論賞準賞、句集に『深雪晴』（文學の森）。

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◆伊藤幹哲氏は宇都宮市在住、大正11年創刊の俳句結社「馬醉木」に所属して日々研鑽を積む34歳、二児の父でもあります。白日へまばゆき鷹を放ちけり　挨拶はなし春闘の席に着く　月のいろ宿す金魚を掬ひけり　踏台の子と歯を磨く夜涼かな　秋燕や光あつめて出す棺「私は、俳句形式としての有季定型切字の可能性を深く信じている。自らの心の動きを表現するにあたって、生涯をかけて追究していくべきことだと思っている。俳人は十七音の世界の中でどこまでも自由なのだから」(本書より)