暮るるほど湖みえてくる白露かな　根岸善雄【季語＝白露（秋）】

2023.09.06
ハイクノミカタマンスリーゲスト

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暮るるほど湖みえてくる白露かな

根岸善雄

このたび、九月・十月の水曜日の「ハイクノミカタ」を担当することになりました伊藤幹哲です。伊藤幹哲と書いて、「いとうまさのり」と読みます。読めませんね。俳号ではないのですが、俳号のような本名で、とても気に入っています。短期連載ですが、どうか宜しくお願い致します。　

初回はわが師の俳句。

根岸善雄 – Wikipedia

私の知っている情報を多少補足。

根岸善雄は「馬醉木」同人に手ほどきを受けて二十代で作句開始。昭和三十八年に馬醉木の新年俳句大会に初めて行った際、水原秋櫻子と石田波郷と能村登四郎が前の方で談笑しているのを見て、「これはえらいところにきてしまった」と後年、語っていました。

この大会で水原秋櫻子の特選に入ったことで、秋櫻子の指導を直接受けるようになりました。秋櫻子宅に呼ばれ、どういう勉強をしてきたのか尋ねられた際に、「原石鼎・村上鬼城などの句集を書き写して勉強してきました」と答えたものの、まだ秋櫻子の句集を読んでおらず、冷や汗を書いたエピソード。秋櫻子に俳号をつけてやろうと言われたのに、これを断ったエピソードなど、興味深い話ばかりでした。「馬醉木」における秋櫻子を知る最後の世代であったといっていいでしょう。

秋櫻子の句集において前書付で俳句に詠まれているほか、水原家に虫籠を届けるなど、控え目にいっても、公私ともに秋櫻子に目を掛けられていた存在でした。

三十三歳で「馬醉木」同人。鹿児島から上京した福永耕二とは特に懇意であり、昭和四十年に朝倉和江らと亀戸研究会を立ち上げています。例えば、耕二の「落葉松を駆けのぼる火の蔦一縷」は同席した句会で初出だったといい、かなり突っ込んで論を交したなど、当時の雰囲気を伝えるようなエピソードを沢山語っていました。

亡くなる前年の五月まで欠かさず栃木県馬酔木会には来て下さっていました。

私は宇都宮の出身であり、帰郷後に俳句を始めましたので、本当に一から俳句を教えて貰いました。不肖の弟子だったと思います。ですが、優しく慈愛に満ちた様子で、声を荒げることなど全くなく、物腰の柔らかい方でした。句会も笑い声が絶えず、穏やかながら指摘するところは指摘されていました。また季語に関する造詣・理解が深く、かなり細かい季語でも悠然と説明をする姿がありました。

透徹した自然詠を特徴とする抒情的な作風です。私は初学の頃は、句会ではほとんど点が入りませんでした。ですがその作風に心惹かれ、いつしか根岸選に入ることを目標に、作句に励むようになりました。また人格的に尊敬する人に出会えたと思いました。今でも俳人にとっての師とはこういう人をいうのかなと思っています。

「塔の会」には昭和六十年から参加しており、古参の域にあったと思います。平成二十年から俳人協会理事になり、平成二十八年同名誉会員。

晩年は「落葉松」をよく詠まれました。「落葉松の径ひとりゆく西行忌」「月明に炎立つ（ほだつ）落葉松黄葉かな」。私も病床にある先生に対する祈りに近しい形で、「落葉松霧氷」という作品を作って俳人協会新鋭俳句賞に応募するなどしました。しかし、昨年の一月十六日に亡くなられました。

拙句集『深雪晴』は、師との別れを大きなテーマの一つとしています。また同時に一人で歩みゆく覚悟をも示すつもりで編みました。ただ、先生が有形無形につないでくださった多くの俳句の縁をしみじみと今感じており、深い感謝の気持ちで胸が一杯です。

さて掲句の「白露」（はくろ）は二十四節気の一つで、九月七日頃にあたります。大気が冷えて万物に露が降り始めることをいったもの。葉の先にしらつゆが宿る、つまり、暦が初秋から仲秋に変わり、残暑も過ぎ、本格的な秋を迎える時期になったことを示しています。

栃木に住む人間としては中禅寺湖などを思い出します。根岸先生もよく時間ができると栃木・群馬の高原の方面へ車を飛ばしていました。

黄昏時は、太陽の落ち行く山際など遠くを見ることになりやすいでしょう。だが暮れていくに従って、遠くから近くへ視点が移動していきます。やがて残照になるまでの間に、目の前の湖に不意に焦点が合います。その湖は、やや紫がかっており、四方の山の景を全て収めたかのようです。目を奪われた後も、その後さらに湖を見つめていると、自らも山や湖と渾然一体となるような、吸い込まれるような、ある種の感覚に襲われます。

秋の入日が早くなってきた様子と湖の近くの空気感などを捉えて「白露」が動きません。季語の現場に四季折々を通じて立っていることがわかる句です。

それではこの辺で。

（伊藤幹哲）

【執筆者プロフィール】
伊藤幹哲（いとう・まさのり）
昭和６３年宇都宮市生、同市在住。「馬醉木」同人。第１２回北斗賞、俳人協会第５回新鋭俳句賞・第７回新鋭評論賞準賞、句集に『深雪晴』（文學の森）。

【伊藤幹哲さんの第一句集はこちら！】

◆伊藤幹哲氏は宇都宮市在住、大正11年創刊の俳句結社「馬醉木」に所属して日々研鑽を積む34歳、二児の父でもあります。白日へまばゆき鷹を放ちけり　挨拶はなし春闘の席に着く　月のいろ宿す金魚を掬ひけり　踏台の子と歯を磨く夜涼かな　秋燕や光あつめて出す棺「私は、俳句形式としての有季定型切字の可能性を深く信じている。自らの心の動きを表現するにあたって、生涯をかけて追究していくべきことだと思っている。俳人は十七音の世界の中でどこまでも自由なのだから」(本書より)