冬蟹に尿ればどつと裏返る 只野柯舟【季語=冬蟹(冬)】


冬蟹に尿ればどつと裏返る

只野柯舟

只野柯舟は終戦直後の冬至の日、見様見真似で互選の仲間に入った句会で、みどり女の〈枯芦の曇れば水の眠りけり〉に出会い、「駒草」入門。東北大学での俳句講座を受講し、みどり女が一力五郎の〈玉葱の皮や歯ブラシの水を切る〉を褒めるのに衝撃を受けたという。大正6年相馬生まれ、平成23年没。東日本大震災の年に亡くなった。相馬の名士で、松川浦の鵜ノ尾岬にはみどり女と柯舟の師弟句碑がある(津波で倒れたのをもう一度立てたもの)。句集に『瞳孔』(昭和37年)、『海霧』(平成元年)、随筆集『宇多』(平成元年)があるほか、「駒草」の語り部としての役割も担い、『駒草のあゆみ』(昭和37年)も著した。掲句は『瞳孔』より。第3回駒草賞。二代主宰八木澤高原が逝去した際、三代主宰蓬田紀枝子への引継ぎの数か月、「駒草」雑詠欄の代選を担っている。

今回執筆に当たって驚いたのが、柯舟の俳句を紹介するTwitter(現X)のBOT(自動でポストするアカウント)があったこと(https://twitter.com/tadano_kashu)。分かち書きなのがご愛敬だが、柯舟俳句の一端を垣間見ることが出来る。

*****

どんど火のうしろ雪降る夜の川  柯舟
茹蟹の眼を失へる秋暑し
冬蟹に尿ればどつと裏返る

いずれも『瞳孔』より。十七音がドラマチックに盛り上がっている。非情な言葉選びであるが、対象の切り取り方に対象に密着した深い情感が宿っている。そのことが却って、一句を熱いものにしている。とりわけ、「冬蟹」の句には作者只野柯舟の、ペーソスを含んだ庶民感情が色濃い。〈放ちやる蟹大海は尋常に みどり女〉とどこまでも蟹を突き放した作と比べると明らか。じょぼじょぼと湯気を立てる冬の小便。さびさびとした海の景色のなかに垣間見える男の童心は可愛らしささえある。「どつと」が蟹の無力を強調して、一句の中に命という主題を押し出しているが、にもかかわらず一句全体が湛えてしまう作者の自画像の可笑しさが、哀しい。この系統の句こそ、筆者の見るところの柯舟俳句の神髄。

夜のホーム掃くいつまでも栗ころがし

鉄道職員の仕事を楽しんでいるようでもあり、無聊をかこつような感じでもある。これもまた、作者の姿が見える佳句だと思う。

鴨を撃つ音に思はず鼻毛抜く

つまるところ、柯舟の句には、対象の背後に自分を置いて、作る自分をじっと見つめているようなところがある(硬い言い方をすれば、経験的主観を括弧に入れるようなところがあるといおうか)。逆に言えば、失敗というか、胸に響いてこない作品を探せば、それが作者の姿が希薄になるときの見本となって、わかりやすい。

小突かれて蛭へらへらと泳ぎけり

など、たんなる寸景の面白さに終わっているようで(と『瞳孔』を読んだ時の私は思った)、その意味でも、柯舟の句集『瞳孔』は私にとっての教科書的な一集である。蓬田紀枝子は、句会で取らない句について、しばしばこう評する。「写生の基本はできているが、作者の姿が見えない」と。柯舟と共に長くみどり女に仕えた紀枝子であるが、紀枝子の言葉の端々を自分なりに理解していくとき、私は柯舟俳句との出会いによって目が開かれたような思いがあったのだった。

*****

柯舟の作風は、同時期に「駒草」の花形だった真島楓葉子の「清新」「知的」とは対照的に「老成」と言えると思う。また、句集のあとがきで「皮膚感覚だけが手がかり」と述べているように、感覚を信じる人であり(その点は五郎の系譜である)、また直情型の俳句でもあった。

老成、感覚の方は、楓葉子との比較で見てみたい。

秋風の野の明るきに蝶死すや  楓葉子
太陽の飛び日の芒見てねむる  柯舟  
病棟の夕べの枯色緊りゆく   楓葉子
消防車林檎畠を枯らしゆく   柯舟

みどり女は「柯舟さんが句をはじめた当時は非常に不器用で、とてもものになるとは思いませんでしたよ」と折々語っていたようだ(鴇田日出夫「只野柯舟小論」「駒草」昭和38年5月号)。ちなみに「はじめた当時は非常に不器用で……」というのは、みどり女の初期の絵画作品を評した一力五郎の言葉を踏まえたものだろう(『笹鳴』序)。このみどり女の言葉を踏まえると、なるほど柯舟の方は「不器用な良さ」、楓葉子の方は「スマートな良さ」という分類ができそうだ。〈太陽の飛び日の芒見てねむる〉。詩的である。古々しい訳でもない。ただ、楓葉子の、思わず情が洩れてしまったような、情感ありきの抒情と、柯舟の詩性は少し違う。自分の感情が何なのか、自分でもよくわからないものを、景に執して突き詰めているような印象を受ける。不器用、感覚、老成という所以である。

深大寺飛龍春泥界を去る 柯舟

こちらは第二句集『海霧』より。上京時の吟行句。「春泥界を去る」は飛龍か、作者か。対象と自分を渾然とするまで見て、迫力のある措辞となった。こうした作例は、不器用を自覚的に突き詰めてゆく道もあるのだと教えてくれる。

ついで直情の方。こちらは、何のことはない、作品の上手い下手よりももっと別なものを大事にしていたというだけのことである。その例を挙げると、たとえば「駒草」36年一月号に、入院中の真島楓葉子が「月明の菊」という一連を発表し、その中の〈月明の菊の無数にいざなはれ〉の句を赤城さかえが月並以下だと酷評したのを、柯舟は「この句は死生を彷徨している作者のさけびなのだ」というような意のことを書いて弁護した。作品からはそんなことは読み取れない。鬼房はこのエピソードを「これは明らかに只野の負けだと思った。しかしその反面、このおときはじめて只野というやつはいい男だなとしみじみ感じ入った」(「柯舟素描」「駒草」昭和37年10月号)と評している。上述の、作品の上での特徴「不器用」「老成」とリンクさせれば、柯舟という俳人の価値観が、批評よりも友情優先、作家たるよりも人間優先で、何より人間らしいやさしさ・あたたかさを大切にすることに重きを置くものだったとすると、よく納得のいくエピソードである。

絶唱には、批評や鑑賞は無い。絶唱は無条件の享受の中に存在する。

『宇多』74頁

柯舟一代の名言であると思う(文脈としては、宮城刑務所の俳句のアンソロジー『星霜』所収された、受刑者高野四辻が刑台に上る際に詠んだ句について語る場面である)。

自身の句についても、「駒草三十周年を迎えてみどり女先生琴をひく」と前書をつけて〈新秋のわれみどり女の琴に泣く〉という作を『瞳孔』に入れている。句数的には厳選の句集に入れるには甘すぎるほどだが、ここにも、俳句を超えてもっと言うと文学を超えて、もっと人間としての感情を大事にしていたことが伺えよう。

*****

「難解句の柯舟」という「駒草」内での異名に触れたい(柯舟を知る人はよくそう言う)。出版された句集には、それほど難解なものはないのだが、難解とされた句はほとんど捨てたためのようだ。しかし、句意は難しくないながら、解釈に少し時間がかかる句、場合によっては辞書使用を要請するような句はしばしばある。表現上の特色として挙げておきたい。

次の句の太字部分、言葉として難しいは、解釈に困るほど難しくはない。ただ、かなりひねりをかけている。

海胆裂けば暗たんとして針死なず

次の間は茫漠として夜の梅

紫陽に鵙鮮らしく吹かれ去る

潮ひきし海苔さめざめと日にあたる

ひよどりの梢に溜る秋祭

宵闇の澎湃として蟇戻る

大粒の蜂ほとばしる藤の上

難解句の柯舟と言われる所以だと思うが、一句目は、ウニの中身に対して殻の針の部分の暗さを言ったものだろうし、二句目はむしろ「次の間」の方が読みを迷わせる。汽車の汽笛などだろうか。鮮(あた)らしく、澎湃(ほうはい)も、読めない方が大勢だろう。

どうしてこんな言葉遣いをするのか、そのヒントになるような座談会があるので長いが引用する。最終的な結論だけ先取りすれば、最初に降りてきたような言葉に飛びつくと、俳人としての経験でマスターしている部分で妥協するような句になってしまうからこれを避ける、というものだ。まずは「すっぽん俳句」という発言が飛び出す。

柯舟 環境に甘えるといったものが生活俳句の一つの弱点になるんだな。それを自分できびしく省略して行く。或る一つの対象、自然なら自然とのからみ合いで、内面的に求める一つのきびしさを、自から展開して行く様な気がするんだ。自分をいじめて自分を大切にするという入り方、そこじゃないかな。それから伝統の客観写生で、自分を抹殺して対象に向うということを徹底して行くと、一つの痴呆俳句になると思う。それを脱却するには自分をもっと大切にしなければならない。 余り自分を抹殺してしまってはこれはもう仕様がない。それに体を張るということが一番大切なんじゃないかなあ。私はそういう考えで、すっぽん俳句かも知れないけれど(笑声) 食いついたら離れない。

(みどり女)先生は自然に向って感動すれば涙を流す程感動できる様な一つの鍛錬を経ていらっしゃるから、それが出来るんですよ。私等はね。一生けんめいやる積りでは居るけれども、そこまではまだまだ行ってない。だから海に向っても山に向ってもやはり喰いついて行く方が……。 自分で喰いついて行くんだか、向うで喰いついて来るのを待って居るんだか、余り自信もないんだがね(笑声)喰いついたら離さないというのは邪道だと思うんだなあ、喰いついたら離れないんだろうな、やっぱり。喰いついたら離れないことと、喰いついたら離さないことと、どう違うんだろなあ。

(中略)

柯舟 離さないというのは、逃げていくのを一生けんめい離さないという事でしょう。(略)逃げるのを追いかけても仕様がないけれども、対象と一緒になって自分も動き廻る様な柔軟性を欲しいということさ。

(略)

柯舟 喰いついたら離さないという事は、ここだけは自分をピンと張って居て、向うは非常に柔軟なんだ。ところがこっちがピンと硬直して居たのでは、なんぼ離さなくたって駄目ですよ、これはね。そんな気がするんだなあ。

(座談会「五郎賞作家を巡って」「駒草」昭和39年6月号)

写生の対象に心動いたら、食いついて離れないすっぽん俳句。一句を為すまでの柯舟の執念を示すスローガンである。座談会における柯舟発言はこの後、「喰いつく」というのは積極的・能動的な気持ちがなくてはできないことだと話が進み、柯舟は自句〈荒海を控へて豆を打ち耽ける〉という句について反省を始める。この句は「受動的な授かりもの」だが、その分テクニックをマスターすれば誰にでもできる脆弱性があると言う。

柯舟 耽けるという言葉ができたからこの句は一応まとまったんで、耽けったか、耽けってないか、ただこっちが感ぐっただけの話なんだから、それをもっと客観に徹するならば、別な眼で他へ展開があったかも知れない。 これは「耽ける」位のところで安易に妥協したといえないこともない。嫌いなところがあるとすればそういう処なんですよね。

(略)

柯舟 自分はやはり陶酔してましたよ、これは俳句になるんだなあという陶酔があったんですよ、それが俳句になりましたよこの通り。しかし、立派な俳句ではない。

対象を摑んで離さないスッポン俳句。そして、スッポンがモノにかみつく能動性よろしく、テクニックで拵えてしまう受動的な作句、「授かりもの」の言葉で安易に妥協しない。この厳しい態度が、かくも硬い柯舟俳句を生んだと言えるかもしれない。

しかし、駒草の中では難解とはいえ、柯舟がいわゆる「前衛」に与していたかというとそういうわけではない。「駒草」昭和36年10月号に「駒草の位置と方向」という座談会があるので、再び柯舟発言を少し引いてみる。

柯舟 駒草が地方俳壇に属しているか、中央俳壇にしているかということよりも、又、伝統の中でもどの辺に位置するかということは難しいことで、もっと駒草の基本的な理念といったもの、先生の主張している写生という問題にしても、どのような位置で写生をみているか、写生を取り扱っているかということでしょう。実際、駒草の誌友が、最も考えているのは、駒草に於る写生をどううけるか、どのように進展させていくべきか、に関心をもっているのではないかと思いますが。具体的に(みどり女)先生の―必らずしも先生というばかりでなく、写生の理念をどううけるかを考えたらどうでしょう。

(中略)

司会 (みどり女の選の傾向が幅広いという文脈を受けて)手法としてそれ(前衛)に近いものでも、こころに触れるようなものなら先生はおとりになる広さがあるように思われるのですが。

柯舟 こころに触れるようなものなら広範におとりになるのだろうけれども、やはりいわゆる前衛の作句の仕方はわれわれと一線を画していると思いますね。

司会 操作の方が先走っていて。

柯舟 そういうことですね。兜太の作品なんかでも、それが目立たないものは共感出来るものがあるのですが。(中略)駒草のわれわれが作句していく場合、一力五郎さんが「俳句は直観と連想の二つから成り立っている」といっているとおり、直観で感じとっていくというのが本当で、連想が先で、直観があとからついていくというのはやはり間違いではないかと思います。

柯舟もまた、みどり女の「写生にはじまり写生に終わる」の実践者であった。事実、後年は沈潜、平明な句境を見せる。筆者が所蔵する柯舟色紙には、松煙墨の薄墨でほのぼのと、

陽炎の川は流るゝためにある  柯舟

と平明な一句が書かれている。

柯舟の自然詠は、凝視によって、自然と人とを対等に見、自然の表情に食らいついていく。当世風の言葉を使えばアニミズムと括られてしまうだろうが、分類としてはあくまですっぽん俳句というのがふさわしい。自然は霊魂を備えていると思ってかかって、凝視するわけではない。そんなものがあろうがなかろうが、現に自然は移ろい、自分は生きている。表情を変える自然にくらいついて、自分もいっしょになって動いていくだけのことである。理論先行の自然崇拝ではなく、感覚ベースの「凝視」こそ柯舟流ではなかったかと、私は受け止めている。私の句で言えば

星降るや山に漲る星の息

夕立や昂然としてパインの木

などは、柯舟流の凝視・すっぽん俳句の影響を表に出ているように思う。

*****

他、柯舟俳句で好きな句をいくつか挙げる(今回は「駒草」でも所持する人は少ないだろう『瞳孔』をメインに読み直したので、出典はいずれも『瞳孔』である)。

寒林の草ぼうぼうと見ゆるなり

朝となる色が枯野を流れをり

残月の地は月食の稲を刈る

木枯の日は海原に溜まりゐし

眠りたるまことの顔の年暮るる

曼珠沙華ひらかざるもの日を継がず

雪の夜の門より急に雪ふかし

大寒の山膨れたる一発破

旧正の卵の殻が潮に乗る

鷹天降る母も浅蜊も耳遠し

透明な師走のコップ林立す

浅川芳直


【執筆者プロフィール】
浅川芳直(あさかわ・よしなお)
平成四年生まれ。平成十年「駒草」入門。現在「駒草」同人、「むじな」発行人。
令和五年十二月、第一句集『夜景の奥』(東京四季出版)上梓。

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「むじな」発行人の第一句集!

この人の鋭さと柔らかさの兼ね合いは絶妙。清新と風格の共存と言い換えてもよい。──高橋睦郎

春ひとつ抜け落ちてゐるごとくなり
一瞬の面に短き夏終る
カフェオレの皺さつと混ぜ雪くるか
論文へ註ひとつ足す夏の暁
人白くほたるの森に溶けきれず

夜景の奥(購入方法) 東京四季出版

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2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2023年12月・2024年1月の火曜日☆土井探花のバックナンバー】
>>〔1〕忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介
>>〔2〕古暦金本選手ありがたう 小川軽舟
>>〔3〕枇杷の花ふつうの未来だといいな 越智友亮
>>〔4〕呼吸器と同じコンセントに聖樹 菊池洋勝
>>〔5〕初夢のあとアボカドの種まんまる 神野紗希
>>〔6〕許したい許したい真っ青な毛糸 神野紗希

【2023年12月・2024年1月の木曜日☆浅川芳直のバックナンバー】
>>〔1〕霜柱五分その下の固き土 田尾紅葉子
>>〔2〕凍る夜の大姿見は灯を映す 一力五郎
>>〔3〕みじろがず白いマスクの中にいる 梶大輔
>>〔4〕一瞬の雪墜のひかり地にとどく 真島楓葉子
>>〔5〕いつよりも長く頭を下げ初詣 八木澤高原

【2023年11月・12月の水曜日☆北杜駿のバックナンバー】
>>〔9〕静臥ただ落葉降りつぐ音ばかり 成田千空
>>〔10〕綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空
>>〔11〕仰向けに冬川流れ無一文 成田千空
>>〔12〕主よ人は木の髄を切る寒い朝 成田千空
>>〔13〕白鳥の花の身又の日はありや 成田千空
>>〔14〕雀来て紅梅はまだこどもの木 成田千空

【2023年10・11月の火曜日☆西生ゆかりのバックナンバー】
>>〔1〕猫と狆と狆が椎茸ふみあらす 島津亮
>>〔2〕赤福のたひらなへらもあたたかし 杉山久子
>>〔3〕五つずつ配れば四つ余る梨 箱森裕美
>>〔4〕湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり
>>〔5〕しやぼんだま死後は鏡の無き世界 佐々木啄実
>>〔6〕待春やうどんに絡む卵の黄 杉山久子
>>〔7〕もし呼んでよいなら桐の花を呼ぶ 高梨章
>>〔8〕或るときのたつた一つの干葡萄 阿部青鞋
>>〔9〕若き日の映画も見たりして二日 大牧広

【2023年10・11月の木曜日☆野名紅里のバックナンバー】
>>〔1〕黒岩さんと呼べば秋気のひとしきり 歌代美遥
>>〔2〕ロボットの手を拭いてやる秋灯下 杉山久子
>>〔3〕秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治
>>〔4〕秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ 小池康生
>>〔5〕縄跳をもつて大縄跳へ入る 小鳥遊五月
>>〔6〕裸木となりても鳥を匿へり 岡田由季
>>〔7〕水吸うて新聞あをし花八ツ手 森賀まり
>>〔8〕雪の速さで降りてゆくエレベーター 正木ゆう子
>>〔9〕死も佳さそう黒豆じっくり煮るも佳し 池田澄子

【2023年9・10月の水曜日☆伊藤幹哲のバックナンバー】
>>〔1〕暮るるほど湖みえてくる白露かな 根岸善雄
>>〔2〕雨だれを聴きて信濃の濁り酒 德田千鶴子
>>〔3〕雨聴いて一つ灯に寄る今宵かな 村上鬼城
>>〔4〕旅いつも雲に抜かれて大花野  岩田奎
>>〔5〕背広よりニットに移す赤い羽根 野中亮介
>>〔6〕秋草の揺れの移れる体かな 涼野海音
>>〔7〕横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄
>>〔8〕萩にふり芒にそそぐ雨とこそ 久保田万太郎

【2023年8・9月の火曜日☆吉田哲二のバックナンバー】
>>〔1〕中干しの稲に力を雲の峰   本宮哲郎
>>〔2〕裸子の尻の青あざまてまてまて 小島健
>>〔3〕起座し得て爽涼の風背を渡る 肥田埜勝美
>>〔4〕鵙の朝肋あはれにかき抱く  石田波郷
>>〔5〕たべ飽きてとんとん歩く鴉の子 高野素十
>>〔6〕葛咲くや嬬恋村の字いくつ  石田波郷
>>〔7〕秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
>>〔8〕なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏
>>〔9〕百方に借あるごとし秋の暮 石塚友二

【2023年8月の木曜日☆宮本佳世乃のバックナンバー】
>>〔1〕妹は滝の扉を恣       小山玄紀
>>〔2〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔3〕葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
>>〔4〕さういへばもう秋か風吹きにけり 今井杏太郎
>>〔5〕夏が淋しいジャングルジムを揺らす 五十嵐秀彦
>>〔6〕蟷螂にコップ被せて閉じ込むる 藤田哲史
>>〔7〕菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴
>>〔8〕片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣
>>〔9〕逢いたいと書いてはならぬ月と書く 池田澄子

【2023年7月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔5〕「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男
>>〔6〕白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男
>>〔7〕折々己れにおどろく噴水時の中 中村草田男
>>〔8〕めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男

【2023年7月の水曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔5〕数と俳句(一)
>>〔6〕数と俳句(二)
>>〔7〕数と俳句(三)
>>〔8〕数と俳句(四)

【2023年7月の木曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔10〕来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
>>〔11〕「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 高柳重信
>>〔12〕コンビニの枇杷って輪郭だけ 原ゆき
>>〔13〕南浦和のダリヤを仮のあはれとす 摂津幸彦

【2023年6月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔1〕田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
>>〔2〕妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや  中村草田男
>>〔3〕虹の後さづけられたる旅へ発つ   中村草田男
>>〔4〕鶏鳴の多さよ夏の旅一歩      中村草田男

【2023年6月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔6〕妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
>>〔7〕金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや
>>〔8〕白い部屋メロンのありてその匂ひ 上田信治
>>〔9〕夕凪を櫂ゆくバター塗るごとく 堀本裕樹

【2023年5月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔5〕皮むけばバナナしりりと音すなり 犬星星人
>>〔6〕煮し蕗の透きとほりたり茎の虚  小澤實
>>〔7〕手の甲に子かまきりをり吹きて逃す 土屋幸代
>>〔8〕いつまでも死なぬ金魚と思ひしが 西村麒麟
>>〔9〕夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ  堀本裕樹

【2023年5月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔1〕遠き屋根に日のあたる春惜しみけり 久保田万太郎
>>〔2〕電車いままつしぐらなり桐の花 星野立子
>>〔3〕葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
>>〔4〕薫風や今メンバー紹介のとこ 佐藤智子
>>〔5〕ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴 池禎章

【2023年4月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔1〕春風にこぼれて赤し歯磨粉  正岡子規
>>〔2〕菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵
>>〔3〕生きのよき魚つめたし花蘇芳 津川絵理子
>>〔4〕遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩

【2023年4月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔6〕赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波
>>〔7〕眼前にある花の句とその花と 田中裕明
>>〔8〕対岸の比良や比叡や麦青む 対中いずみ
>>〔9〕美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目

【2023年3月の火曜日☆三倉十月のバックナンバー】

>>〔1〕窓眩し土を知らざるヒヤシンス 神野紗希
>>〔2〕家濡れて重たくなりぬ花辛夷  森賀まり
>>〔3〕菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 金原まさ子
>>〔4〕不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【←三倉十月さんの自選10句付】

【2023年3月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔1〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔2〕砂浜の無数の笑窪鳥交る    鍵和田秞子
>>〔3〕大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波
>>〔4〕カードキー旅寝の春の灯をともす トオイダイスケ
>>〔5〕桜貝長き翼の海の星      波多野爽波

【2023年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔6〕立春の零下二十度の吐息   三品吏紀
>>〔7〕背広来る来るジンギスカンを食べに来る 橋本喜夫
>>〔8〕北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子
>>〔9〕地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子

【2023年2月の水曜日☆楠本奇蹄のバックナンバー】

>>〔1〕うらみつらみつらつら椿柵の向う 山岸由佳
>>〔2〕忘れゆくはやさで淡雪が乾く   佐々木紺
>>〔3〕雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武
>>〔4〕さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

【2023年1月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔1〕年迎ふ父に胆石できたまま   島崎寛永
>>〔2〕初燈明背にあかつきの雪の音 髙橋千草
>>〔3〕蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴
>>〔4〕流氷が繋ぐ北方領土かな   大槻独舟
>>〔5〕湖をこつんとのこし山眠る 松王かをり

【2023年1月の水曜日☆岡田由季のバックナンバー】

>>〔1〕さしあたり坐つてゐるか鵆見て 飯島晴子
>>〔2〕潜り際毬と見えたり鳰     中田剛
>>〔3〕笹鳴きに覚めて朝とも日暮れとも 中村苑子
>>〔4〕血を分けし者の寝息と梟と   遠藤由樹子

【2022年11・12月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】

>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
>>〔3〕境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子
>>〔4〕舌荒れてをり猟銃に油差す 小澤實
>>〔5〕義士の日や途方に暮れて人の中 日原傳
>>〔6〕枯野ゆく最も遠き灯に魅かれ 鷹羽狩行
>>〔7〕胸の炎のボレロは雪をもて消さむ 文挾夫佐恵
>>〔8〕オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行
>>〔9〕去年今年詩累々とありにけり  竹下陶子

【2022年11・12月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
>>〔3〕誕生日の切符も自動改札に飲まれる 岡田幸生
>>〔4〕雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代
>>〔5〕トローチのすつと消えすつと冬の滝 中嶋憲武
>>〔6〕鱶のあらい皿を洗えば皿は海 谷さやん
>>〔7〕橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃
>>〔8〕セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔
>>〔9〕動かない方も温められている   芳賀博子

【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】

>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し  西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被    平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て   高橋安芸

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり  岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子

【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり  金原まさ子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか  鴇田智哉

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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