白鳥の花の身又の日はありや 成田千空【季語=白鳥(冬)】


白鳥の花の身又の日はありや

成田千空

 千空の萬緑賞受賞後、中央俳壇では昭和33年頃から伝統俳句に対する批判(反発)の一つとして「前衛」と称される俳句が若手俳人の中で現れ始めた。前衛派の数ある方法論の中でも、己が俳句の世界の中に自分の主体を生かす方法として注目を集めたものが、金子兜太の『造型俳句論』がある。

 造型俳句とは、対象から受け止めたもの、感覚したものをそのままにすぐにうたうのではなく、対象の「マチエール」をうたう。それを表現に定着するというものであり、つまりは、何かを感覚した時に、「創る主体としての自分(他者としての自分)」を設定して、その「創る自分」が対象を受け止めて、映像(イメージ)を構築したものを俳句にするという理論であった。「前衛」の中にも、前衛社会派や前衛芸術派といった派閥があり、各々の作家が各々の理論・方法論で伝統というものを超克しようと活動が活発になった時代であった。

 こういった造型論や抽象論、無季容認論を指向する前衛派俳人たちの動きが活発になったことに対しての反発として、伝統派の俳人たちは前衛派俳人とその作品に対して、実に憎しみの言葉を浴びせ、それが批評という名目で雑誌に載ることもしばしばあった。

  ☆

 その最中、そういった時代の機運を察してか、中村草田男は昭和33年の青森での萬緑全国大会にて、「中庸ならぬ中庸の道」と題して講演を行っている。ここでいう「中庸」とは、右や左に極端に偏らない程よい真ん中の道(中道)という意味ではなく、右も真理であり、左も真理であるという場合、何ものをも実らせない中道を行くのではなく、相矛盾するものを両方負い、両方生かしきることであるという。

 そして、「伝統は厳然としてある。その伝統を尊重しつつ新しい時代に即応し生き続けるものとしての生命の息吹きが加えられてこそ今日の俳句、現代俳句としての生命が生れるのです。これは単なる理屈や技巧で出来るものではありません。心の目を開き体当りで俳句に取り組むもののみにこの道は開かれるのです。」と語る。

 それゆえ、草田男は伝統俳句派として伝統を尊重しつつも、人間の精神・日本民族というものの発展と向上のために、生きた俳句を築きあげてゆくことを志向していくのである。

 一方、千空も翌年の昭和34年(1959・千空38歳)の京都での萬緑全国大会にて「人間と俳句」という題で前衛俳句について講演している。その中で千空は、前衛俳句の問題点を「無季の句でもよい句があれば、フレーズとして享受する自由を楽しむ心があることを自覚する。が季語にまさるどういう暗示力があるのか心細い感じもする」と指摘しながらも、その講演中の最も伝えたい主張は到ってシンプルなものであり、伝統派も前衛派も単に憎しみ合う事はやめろというものであった。

 この講演で千空は、「人間は人間を愛することも出来るが殺すことも出来るというカオスから眼をそらさないことが、こうした時代の至上テーマとなり得ることはもはや自明だと思うのです。この人間の問題が文学の基本問題であることはいうまでもないわけです。この観点からすれば、どういうみちゆきをとろうと、又どういう表現の形態を指向しようと、人間の存在から眼をそらさない限り、共存し得るという前提が成り立つと思うのです。この前提をしっかり踏まえていれば、相互批判はきびしければきびしい程有効であると考えます。でないと、方法や手段の問題のツバぜり合いで終始し、その迷路の中に迷いこんだり、方法の違いからただちに互いの存在を無視するというドグマにとりつかれる怖れも生ずる」と語り、お互いの相互批判を以てして俳句という文芸を高みへと向上しようではないかという事を強調するのであった。

  ☆

 しかし、こうした千空の思いもむなしく、昭和36年(1963)十一月、現代俳句協会賞の選考委員会内での選定をめぐって伝統派と前衛派で仲違いが勃発。仲違いは解消されず、ついには前衛派と伝統派の俳人が分裂してしまうのであった。

 そしてその後、伝統派の俳人たちが現代俳句協会を離脱するという形で、新たに有季定型を掲げて俳人協会を発足。今日まで俳人協会と現代俳句協会の二枚看板が続いているという次第である。

 その後千空は、『萬緑』昭和37年(1962・千空41歳)3月号「向上と新化」という評論においても、「現代の詩としての俳句を志向する者としては、伝統俳句とか前衛俳句とかいうより現代俳句という言葉の方が気に入る。なぜなら俳句は伝統詩であることはいうまでもないから、ことさらに伝統俳句といわなくてもいいはずだし、現代に於ける伝統詩として敢えていうなら現代俳句という言葉に輝きを覚えるのである。しかし詮じつめればわれわれは俳句をつくる俳人である。リトマス試験紙によって酸性かアルカリ性かを判別するように、現代俳句を前衛か伝統かの唯二つの分野に区別して見なければ気がすまないような昨今の風潮は、せっかちでみみっちい風潮に思えてしかたがない」。「要するにせまい俳壇の中で、前衛とか旧守とかいう名称を勝手に早産させないで、現代俳句一本でゆきたい。その中で対立すべき点をはっきり対立させ、相互に向上してゆきたいと切に思うものである」と述べ、元々の千空の主張は変わることはなかった。

 千空の見方(解釈)としては、あくまでも「伝統の超克」の仕方の中で、伝統派と前衛派が対立したとしており、ただその希求の仕方(方法)と態度にズレが生じていると説く。

「その結果、才質に即しないものはどんどんカットしてゆく。己れのセンスやインテリジェンスに合わないものは価値がない。しかしこの価値はあくまでも相対的な価値であって、商品や貨幣の価値と次元は同等なのである。生活人としてのわれわれは現在こうした価値の次元で生きていることは確かだが、詩人として生きる次元はこうした相対的な価値の次元を止揚した次元であるにちがいない。詩の価値は相対的な価値だけで判断することが出来ない。同時に相対的な価値を度外視することが出来ない。これが全人間的に生きることであるにちがいない。相対価値の中に在って絶対価値を求める人間の全キャパシティを統べるものは単なるセンスでもなければインテリジェンスでもない、限りない過去から限りない未来へ持続してゆく一本の軸」。それこそが、詩の不易流行という事なのである。

  ☆

 俳人協会発足以来、「萬緑」の会員は全員俳人協会に入ったものの、千空はそのまま現代俳句協会に居続けるという選択肢を取った。前述のような思いも強かったため、「こうやって分裂したけれど、協会としてはまた一つに戻るべきものじゃないか」という考えもあったが、千空の拠点・青森の俳壇の内部分裂を避ける狙いが主であったためと思われる。

 つまるところ、「中央の協会あたりの分裂というものを地方にもってくるな」という意識が千空の頭の中にあり、この中央の分裂を、青森の俳壇の分裂へと波及させてないように、地元の俳人たちへの心配りのために現代俳句協会に留まったということである。ここにまた、千空の地方俳壇に重きを置く気概の一つがよく現れているであろう。

 しかし、千空の見立ても虚しく、結局俳人協会と現代俳句協会は一つの鞘に収まることはなかった。「どうせ一つにならないのなら、草田男先生のおられる俳人協会の方が…」という事もあり、『萬緑』の香西輝雄の勧めによって、昭和61年(1986・千空65歳)に俳人協会に入会することになる。

 千空の第二句集『人日』が俳人協会賞を受賞したのが、その2年後の昭和63年(1989・千空67歳)。俳人として締めくくりとしての決意の後の受賞であった。

  ☆

 第二句集『人日』は母・ナカの死去の翌年の昭和47年(1972・千空51歳)から師である中村草田男の死去の前年である昭和57年(1982・千空61歳)にわたる句集である。

 また、第三句集『天門』は草田男死去の昭和58年(1983・千空62歳)から昭和を締めくくる昭和63年(1988・千空67歳)までの句を収めた句集であり、千空はその昭和63年に『萬緑』の第四代選者に就任することになる。

 この二句集を通して、千空の壮年期以降の還暦に向けての日々、そして還暦を過ぎて古稀に向けた日々の句群が収録されている。

 鷹ゆけり風があふれて野積み藁

 風三日銀一身の鮭届く

 風ぐせの(まち)にて南部鼻曲鮭(はなまがり)

 白鳥に雪の天網静かなり

 葦折れず氷面(ひも)解けがたし父祖の野は (『人日』より)

 八雲立ちとどろきわたる佞武多かな

 葦焼きの音骨(おとぼね)立つる火群かな

 東北や倒れ伏すとも瑞穂の田

 仏前に新墾(あらき)づくりの大西瓜

 天眼や野にさなぶりの笛太鼓  (『天門』より)

 第一句集『地霊』から絶えず注がれる自然への厳しい眼差しと声量の豊かな風土詠は変わることはない。しかし、千空の言葉にふくよかさと軽やかさが現れ始めているのは着目したい点である。横澤放川は、この還暦を迎えての千空の静かな華やかさを帯びた詩心を、「綺麗さび」と形容する。

 それは、厳しい風雪の風土の中にも見出される美しく愛しいものに対する眼差しの深化であり、ものに対する眼差しが、風土や自然、殊に季語に触発され、己が内奥へと眼差し返される時に生まれるゆるされとも表すべき写生の深まりでもある。それが、千空俳句に一層のふくよかさをもたらしているのである、

 かたかたと木橋渡れば蜆村

 帰る鴨差し迫るもの何々ぞ

 ふた親のくに秋嶺の藍ひらく

 ねむる子に北の春暁すみれ色

 恋をせよ旅をせよとや実むらさき

 寒餅に搗きこむ奥の草のいろ

 しののめの紅さしのぼる接穂かな

 雪しろの本流に入る水ゑくぼ  (『人日』より)

 鯉ほどの唐黍をもぎ故郷なり

 百歳の彼方は雪の野づらかな

 早苗饗のあいやあいやと津軽唄

 風と来て声よき十三(とさ)の蜆売

 父母とゐてうすべりの青盆座敷

 (それ)人間熱い飯には(はららご)

 夫人間何が無くても熱燗を

 信心の餡たつぷりと草の餅  (『天門』より)

  ☆

 この二句集には、民謡の歌詞を詠みこんだ所謂本歌取りとも言える句も収録されている。

 身にしむや米ならばよき十三の砂  (『人日』より)
 野も山も青し天間のみよ子欲し (『天門』より)

 「身にしむや~」の句の本歌は民謡の「十三(とさ)の砂山」である。「十三の砂山米ならよかろ  西の弁財衆にただ積ましよ 弁財衆に西のな 西の弁財衆にただ積ましよ」という歌詞であり、小太鼓に合わせて、スローなテンポでゆっくりと踊りながら唄う民謡である。

 この民謡の歌詞の背景として知っておきたいのが、十三は鎌倉時代から江戸時代まで、三津七湊の一つといわれ、日本海を航行する北前船の「弁財衆」が集まって大変に賑わったが、1340年8月にこの地を襲った大津波によって一瞬にして廃墟となり、この地を支配していた安藤氏が南部氏との抗争に敗れ蝦夷地への敗退した事と相まって、衰退が進み、栄枯盛衰を極めた中世海運の中心都市「十三湊」を偲ぶべきもなく、荒れ果てた砂浜になってしまった、という歴史的事実である。まさに月島の盆踊り(念仏踊り)に近い趣きがあり、民謡(民舞)という形をとりながらも、いわば死者への弔い、鎮魂としての意味合いが濃い。

 秋風が吹きすさび、砂埃のみ舞い立つ十三の砂山。その砂が米であったならどんなに良かったであろうと、死者を偲び、栄枯を偲びつつ佇む千空の姿が思い浮かぶのである。

 「野も山も青し~」に詠われている「天間のみよ子」の本歌は、青森県七戸町周辺に伝わっている盆唄の「虎丈(とらじょ)様」、もしくは南部民謡の「みよ子節」からのものである。

「田名部横町の 川の水飲めば 八十ばあさまも 若くなる
八十ばあさまが若くもなれば 焼いた魚が 泳ぎだす
おやじ貰てけだ おかだ(かが)は欲しくない ならば天間の みよ子欲しい
みよ子欲しいたって およびもないし ならば妹の みえ子でも」
(歌詞は、地域によって少しずつ異なるそうである)

歌詞にでてくる、「天間のみよ子」は明治時代に実在した人物であり、大変気立ても仕事ぶりも良い農婦で、若者たちのアイドルであったそうだ。

 「十三の砂」からは一転して茶目っ気があり明るい民謡であるが、千空とその妻の市子氏との間には子宝に恵まれなかったという背景を知ると、この「天間のみよ子欲し」という措辞は、哀々とした独白へと変わる。

 野も山も青々と茂った季節。冬の長い雪国にとって、その季節はいのちの再生と感謝とも言うべき季節である。野原にも山にも子供たちが無邪気に遊んでいる声が聞こえてくる。そんな生命溢れる季節の中、やはり千空は、ついに見ることの叶わなかった己が子の姿を「天間のみよ子」に投影しているのではないだろうか。還暦を過ぎた千空は、子供に対しての眼差しを一層深めていくのである。

  ☆

 掲句は『人日』に収録。白鳥の姿を「花の身」と捉えたその発想には、中村草田男の一句「白鳥といふ一巨花を水に置く」が先行する。あるいは『天門』には、「ししうどや金剛不壊の嶺のかず」という句があり、これはかつて草田男が同じ美ヶ原の高みで詠んだ「雲海に蒼荒太刀の峰のかず」に対する文学的オマージュであると横澤放川は指摘する。俳句の文学性を追求した千空にとって、草田男の作品がどれほど千空の拠り所となり、どれほど自身の言葉を探求し続けたかが分かるであろう。

 前述の「天間のみよ子」しかり、「十三の砂山」しかり、千空によって吸収された文学的知識と風土という情念は、自身と自身の作品との苦闘の末、千空の身となり骨となり、血の通った言葉となって生み出されているのである。その苦闘が、千空にとっての固有のエスプリをせつせつと研ぎ澄ませていくのである。

 白鳥は、千空が最も愛した鳥であり、初期の頃からの主題の一つである。掲句は、冬を越えて北へ帰っていく一羽の白鳥に焦点を当てている。「又の日はありや」という措辞には、悠然と白鳥を見送る千空の心の余裕がほのと感じられる。「また来年も戻って来いよ~」と、句の裏にはそんな千空の豊かでやさしい声が聞こえてくるのである。

北杜駿


【執筆者プロフィール】
北杜駿(ほくと・しゅん)
1989年生まれ。千葉県出身。現在は山梨県在住。2019年「森の座」入会、横澤放川に師事。2022年星野立子新人賞受賞。2023年森の座新人賞受賞。「森の座」同人。
Email: shun.hokuto@outlook.com


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2023年12月・2024年1月の火曜日☆土井探花のバックナンバー】
>>〔1〕忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介

【2023年11月・12月の水曜日☆北杜駿のバックナンバー】
>>〔9〕静臥ただ落葉降りつぐ音ばかり 成田千空
>>〔10〕綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空
>>〔11〕仰向けに冬川流れ無一文 成田千空
>>〔12〕主よ人は木の髄を切る寒い朝 成田千空

【2023年10・11月の火曜日☆西生ゆかりのバックナンバー】
>>〔1〕猫と狆と狆が椎茸ふみあらす 島津亮
>>〔2〕赤福のたひらなへらもあたたかし 杉山久子
>>〔3〕五つずつ配れば四つ余る梨 箱森裕美
>>〔4〕湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり
>>〔5〕しやぼんだま死後は鏡の無き世界 佐々木啄実
>>〔6〕待春やうどんに絡む卵の黄 杉山久子
>>〔7〕もし呼んでよいなら桐の花を呼ぶ 高梨章
>>〔8〕或るときのたつた一つの干葡萄 阿部青鞋
>>〔9〕若き日の映画も見たりして二日 大牧広

【2023年10・11月の木曜日☆野名紅里のバックナンバー】
>>〔1〕黒岩さんと呼べば秋気のひとしきり 歌代美遥
>>〔2〕ロボットの手を拭いてやる秋灯下 杉山久子
>>〔3〕秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治
>>〔4〕秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ 小池康生
>>〔5〕縄跳をもつて大縄跳へ入る 小鳥遊五月
>>〔6〕裸木となりても鳥を匿へり 岡田由季
>>〔7〕水吸うて新聞あをし花八ツ手 森賀まり
>>〔8〕雪の速さで降りてゆくエレベーター 正木ゆう子
>>〔9〕死も佳さそう黒豆じっくり煮るも佳し 池田澄子

【2023年9・10月の水曜日☆伊藤幹哲のバックナンバー】
>>〔1〕暮るるほど湖みえてくる白露かな 根岸善雄
>>〔2〕雨だれを聴きて信濃の濁り酒 德田千鶴子
>>〔3〕雨聴いて一つ灯に寄る今宵かな 村上鬼城
>>〔4〕旅いつも雲に抜かれて大花野  岩田奎
>>〔5〕背広よりニットに移す赤い羽根 野中亮介
>>〔6〕秋草の揺れの移れる体かな 涼野海音
>>〔7〕横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄
>>〔8〕萩にふり芒にそそぐ雨とこそ 久保田万太郎

【2023年8・9月の火曜日☆吉田哲二のバックナンバー】
>>〔1〕中干しの稲に力を雲の峰   本宮哲郎
>>〔2〕裸子の尻の青あざまてまてまて 小島健
>>〔3〕起座し得て爽涼の風背を渡る 肥田埜勝美
>>〔4〕鵙の朝肋あはれにかき抱く  石田波郷
>>〔5〕たべ飽きてとんとん歩く鴉の子 高野素十
>>〔6〕葛咲くや嬬恋村の字いくつ  石田波郷
>>〔7〕秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
>>〔8〕なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏
>>〔9〕百方に借あるごとし秋の暮 石塚友二

【2023年8月の木曜日☆宮本佳世乃のバックナンバー】
>>〔1〕妹は滝の扉を恣       小山玄紀
>>〔2〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔3〕葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
>>〔4〕さういへばもう秋か風吹きにけり 今井杏太郎
>>〔5〕夏が淋しいジャングルジムを揺らす 五十嵐秀彦
>>〔6〕蟷螂にコップ被せて閉じ込むる 藤田哲史
>>〔7〕菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴
>>〔8〕片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣
>>〔9〕逢いたいと書いてはならぬ月と書く 池田澄子

【2023年7月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔5〕「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男
>>〔6〕白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男
>>〔7〕折々己れにおどろく噴水時の中 中村草田男
>>〔8〕めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男

【2023年7月の水曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔5〕数と俳句(一)
>>〔6〕数と俳句(二)
>>〔7〕数と俳句(三)
>>〔8〕数と俳句(四)

【2023年7月の木曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔10〕来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
>>〔11〕「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 高柳重信
>>〔12〕コンビニの枇杷って輪郭だけ 原ゆき
>>〔13〕南浦和のダリヤを仮のあはれとす 摂津幸彦

【2023年6月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔1〕田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
>>〔2〕妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや  中村草田男
>>〔3〕虹の後さづけられたる旅へ発つ   中村草田男
>>〔4〕鶏鳴の多さよ夏の旅一歩      中村草田男

【2023年6月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔6〕妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
>>〔7〕金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや
>>〔8〕白い部屋メロンのありてその匂ひ 上田信治
>>〔9〕夕凪を櫂ゆくバター塗るごとく 堀本裕樹

【2023年5月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔5〕皮むけばバナナしりりと音すなり 犬星星人
>>〔6〕煮し蕗の透きとほりたり茎の虚  小澤實
>>〔7〕手の甲に子かまきりをり吹きて逃す 土屋幸代
>>〔8〕いつまでも死なぬ金魚と思ひしが 西村麒麟
>>〔9〕夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ  堀本裕樹

【2023年5月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔1〕遠き屋根に日のあたる春惜しみけり 久保田万太郎
>>〔2〕電車いままつしぐらなり桐の花 星野立子
>>〔3〕葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
>>〔4〕薫風や今メンバー紹介のとこ 佐藤智子
>>〔5〕ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴 池禎章

【2023年4月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔1〕春風にこぼれて赤し歯磨粉  正岡子規
>>〔2〕菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵
>>〔3〕生きのよき魚つめたし花蘇芳 津川絵理子
>>〔4〕遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩

【2023年4月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔6〕赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波
>>〔7〕眼前にある花の句とその花と 田中裕明
>>〔8〕対岸の比良や比叡や麦青む 対中いずみ
>>〔9〕美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目

【2023年3月の火曜日☆三倉十月のバックナンバー】

>>〔1〕窓眩し土を知らざるヒヤシンス 神野紗希
>>〔2〕家濡れて重たくなりぬ花辛夷  森賀まり
>>〔3〕菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 金原まさ子
>>〔4〕不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【←三倉十月さんの自選10句付】

【2023年3月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔1〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔2〕砂浜の無数の笑窪鳥交る    鍵和田秞子
>>〔3〕大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波
>>〔4〕カードキー旅寝の春の灯をともす トオイダイスケ
>>〔5〕桜貝長き翼の海の星      波多野爽波

【2023年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔6〕立春の零下二十度の吐息   三品吏紀
>>〔7〕背広来る来るジンギスカンを食べに来る 橋本喜夫
>>〔8〕北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子
>>〔9〕地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子

【2023年2月の水曜日☆楠本奇蹄のバックナンバー】

>>〔1〕うらみつらみつらつら椿柵の向う 山岸由佳
>>〔2〕忘れゆくはやさで淡雪が乾く   佐々木紺
>>〔3〕雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武
>>〔4〕さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

【2023年1月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔1〕年迎ふ父に胆石できたまま   島崎寛永
>>〔2〕初燈明背にあかつきの雪の音 髙橋千草
>>〔3〕蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴
>>〔4〕流氷が繋ぐ北方領土かな   大槻独舟
>>〔5〕湖をこつんとのこし山眠る 松王かをり

【2023年1月の水曜日☆岡田由季のバックナンバー】

>>〔1〕さしあたり坐つてゐるか鵆見て 飯島晴子
>>〔2〕潜り際毬と見えたり鳰     中田剛
>>〔3〕笹鳴きに覚めて朝とも日暮れとも 中村苑子
>>〔4〕血を分けし者の寝息と梟と   遠藤由樹子

【2022年11・12月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】

>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
>>〔3〕境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子
>>〔4〕舌荒れてをり猟銃に油差す 小澤實
>>〔5〕義士の日や途方に暮れて人の中 日原傳
>>〔6〕枯野ゆく最も遠き灯に魅かれ 鷹羽狩行
>>〔7〕胸の炎のボレロは雪をもて消さむ 文挾夫佐恵
>>〔8〕オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行
>>〔9〕去年今年詩累々とありにけり  竹下陶子

【2022年11・12月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
>>〔3〕誕生日の切符も自動改札に飲まれる 岡田幸生
>>〔4〕雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代
>>〔5〕トローチのすつと消えすつと冬の滝 中嶋憲武
>>〔6〕鱶のあらい皿を洗えば皿は海 谷さやん
>>〔7〕橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃
>>〔8〕セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔
>>〔9〕動かない方も温められている   芳賀博子

【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】

>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し  西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被    平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て   高橋安芸

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり  岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子

【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり  金原まさ子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか  鴇田智哉

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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